「神奈川県私塾協同組合」主催の「読書作文コンクール表彰式&講演会」

昨日は「神奈川県私塾協同組合」主催の「読書作文コンクール表彰式&講演会」でした。何度か書いていますが、このコンクールは、子どもたちが読んだ文章を書いてもらった著者の方に選考をお願いし、講評していただき、講演もやっていただくという特長をもっています。今回で7回目になります。今年の著者は青山学院大で哲学を教えている入不二教授でした。

表彰式には子どもたちと一緒にたくさんの父母の方にも来ていただきました。子どもたちのハレの姿を見ていただくためです。子どもたちが活躍できる場、キラキラとして輝ける場を提供するのもこのコンクールの趣旨のひとつです。ちょっとした緊張の中、子どもたちはひとりひとり著者の入不二先生から賞状をもらっていました。

小学生の部 佳作・入賞


小学生の部 優秀・最優秀


中学生の部 入賞


中学生の部 優秀・最優秀


高校生の部 入賞・最優秀

最優秀の生徒の作品が読まれて、入不二教授による講評がありました。子どもたちの「書く」ポテンシャルは小学生が最も高く、中学生になると落ち込み、その後、高校生で昇る子、そのままの子、落ちる子と大きくわかれていく。たとえば、今回の作文でも、文章の最後を「これからも頑張っていきたいと思います」といったような形で結ぶ中学生の作品が多く見られた。ある意味では「道徳観」というか、そうしたリミッターがきいてしまうのが中学生なのかもしれない。また、それぞれの学年ごとに多く使われているワードをもとに、子どもたちの書く内容の違いにもふれた講評でした。

その後、入不二教授による講演「穴とアナロジー」でした。今回の子どもたちが読んだ文章が「哲学者って何をする人なの?」というもので、その中で「穴掘り」の話しがでてきました。まさしく「穴を掘る」というアナロジー(類推、比論)が「哲学する」ってことの方向性を子どもたちに示唆し、それによって子どもたちの様々な「哲学的なアナロジー」が今回の読書作文につながったわけです。そうした意味では今回のコンクールのひとつの「解」のような講演だなと、わたしなりに理解して聞いていました。

メビウスの帯、ヒマラヤゲームのアナロジーに話しは及び、穴を掘るというアナロジーもふくめて、これらは「人生そのもの」ともいえるのではないだろうか、というところにつながっていきました。穴掘りも、ヒマラヤゲームも、人生も、はじまりもなく終わりもない。人間は死ぬ直前まで生きているので、自分が死んでしまったという意識は持ちようがない。確かに、まわりの人が死んだ人を意識することはできるが、その時には死んでしまった人の意識はないのだし・・・ このあたりでわたしは「うーん」とうなっていました。

60分以上の入不二教授の講演。小学生の子どもたちも寝ないで聞いていました。理解できたとは思えませんが、彼ら、彼女らの中にも「ポツンと何か」が残ったのではないかな、と思います。どんなことを考えたのか、今度、ひとりひとりに聞いてみたいと思います。とにかく、今回のこのコンクールを通じて、小中高校生には「哲学」という語彙がしっかりと刻まれたはずです。なんだかわからないけど「哲学」って難しいようでいて身近なものでもあり、ウンチについて考えることも「哲学」なんだな、という記憶が残ったことで「哲学」のきっかけになってくれたなら幸いです。

最後に入不二教授の最新刊の紹介です。今回、最優秀、優秀の生徒たちにはサイン入りの本をプレゼントしました。小中学生は今は読むのは難しいでしょうが、机のどこかに置いておき、いつか読める日が来るまで自らの「思考」を磨いていって欲しいです。入不二先生。ほんとうにありがとうございました。また、なにかの仕事を共有できたらうれしいです。

わたしもまだきちんとわかっていませんが、昨日の講演でもアナロジーされた「穴の空いたドーナッツ」ですが、この本にも書かれている「相対現実」と「絶対現実」につながる話しかと思います。「相対現実」とは中身を伴った現実であり、「絶対現実」とは中身を伴わない(無内包の)現実です。ドーナッツの穴は「相対現実」で、ドーナッツの周りの空間は「絶対現実」。うーん。もう一度、読んでみよう。

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