あきないこと
そばで見ていると「何であきないんだろう」と思われることでも、本人にとっては何の苦もなく、というよりも、嬉々としてやれることがある。
私にとっても「影印本」を読むことがそれにあたる。古今集や新古今集の「影印本」などを読んでいると本当に心が落ち着く。わたしは和歌を勉強したくて文学部の日本文学科を選択した。歌集にかぎらず、この時代の軍記物もいつまででも読んでいられる。藤原定家の「近代秀歌」も愛読書のひとつだ。
大学生になるということはそうした「あきない勉強分野」を見つけることだと思う。
今年の夏は家族で明日香を旅した。自転車で石舞台や酒船石やいくつかの宮跡をめぐった。私は子供達にそうした古代の息吹を感じて欲しかった。明日香は棚田でも有名だ。夏の日差しを浴びて緑の稲穂が広がっていた。蘇我入鹿の首塚で古代を夢想している私の横で、息子は棚田の中に手を突っ込んでザリガニやタニシをつかまえて観察していた。
いやぁ、こいつにとっては入鹿よりもタニシなんだなぁ、とあらためて感じた。
勉強すると言うことは本当に楽しいものなんだ。飽きないものなんだ。そんな「自分なりの勉強」を是非ともみんなにも見つけて欲しいと思う。
そのためにも、基本的な学力はどうしても必要だ。高校受験はそうした「あきない勉強分野」を見つけるための第一歩なんだ。高校生は早くそうした分野を見つけて欲しい。
先を見据えて子供達を教えたい。
最近は本当にそう思っている。