校長解任
二つ前の記事にも書いた校長先生は解任されたようです。それにしても「みなりで不合格の校長解任」というニュースの見出しには憤りさえ覚える。確かに、県で決められた合否基準には「みなりで不合格」という基準はありませんでした。それなのに不合格にしてしまったことが今回は問題になっていることは確かです。
しかし、マスコミの姿勢としては、「確かに合格基準になかった部分で不合格にしたことはまずい。が、それでは入試の際に茶髪やマニュキアで受験した生徒も合格させなければいけない、という現状をどう思いますか」と世論に問いかけるべきなのではないだろうか。
今回のことで不合格になった生徒たちは、希望すれば入学させるという。その子たちは「なーんだ、結局はおれ達が好きなようにやっても世の中は思い通りになる。」と考えはしないだろうか。
教育評論家の「公教育はこうした子供たちを引き受けて教育していくことに意義がある。身なりで不合格にするなどもってのほかだ」といったコメントに吐き気をもよおす。年間に100人の生徒が退学していくこの高校の現状をどこまで理解しているのか。どこまで「子供のやりたい放題」を是認するつもりなのだろう。どこで「生きていくことの厳しさ」を教えるつもりなのだろう。
中学校もこうした子供たちへの教育を放棄している。だから、入学試験にとんでもない身なりで受験に行ってしまうことになる。それでも、合格基準を達成していれば合格させなければいけない。子供の思うままになっていく。そして、結局は、世の中の厳しさにその子供たちはいずれはじき出されてしまう。
何かがおかしい。この校長の投げかけた「なにか」はとても大きい。それを無視してしまっていいのだろうか。
しかも、そのおかしいことを指摘できないマスコミの姿勢が最も気にかかる。