管理教育?
「ここまで学校がやってくれるのかぁ」ということだ。
生徒を一時たりとも「ほっぱらかし」にはしない。学校行事のひとつひとつにも、しっかりとした意味づけがされていて、きっちりとした教育目標のもとで行事も整然とおこなわれる。どの学校も競うように「生徒への関わり」を強めている。そうしなければ生徒の学力は伸びない。大学への進学実績も出ない。キャリア教育さえもプログラムされていて、達成目標もしっかりと定められている。
もちろん、学習面では、小テストによるチェック。出来るまでの補習。土曜日までもふくめた週6日制。すごい学校は8時間授業など普通で、夏休みや冬休みの講習会など当たり前。部活動も活動には制限がついていて、夜の8時過ぎまで補習なんてしゅっちゅう・・・ そんな私学が「面倒見の良い」「すばらしい学校」という評価を得る。
公立高校はどうだろうか? 実は、公立高校も生徒への関わり度合いを圧倒的な勢いで高めはじめている。
娘がこんなことを言っていた。
「埼玉や千葉や東京の公立高校出身の友達と話すと、高3では基本的に学校行事には参加しないんだね。私の体育祭の写真を見せると、これを9月にやってたの? ってびっくりされるんだ。だから落ちこぼれて、この学校に来ちゃったんだよ、って言うと妙に納得されるけど」
昔ながらの公立高校の自由度を保っているのは、神奈川県内でも湘南高校ぐらいしかないかもしれない。横浜翠嵐高校は、がっちがちに生徒へ関わりを強めて飛躍的な進学実績を出している。鳴り物入りで開校した「横浜サイエンスフロンティア」にしても、自由度は限りなく低いだろう。公立高校も「理数コース」なんていう、管理教育ばりばりのコースを作りはじめている。
が、そうすることを父母は求めているし、そうすることで実績は高くなっていく。
管理教育、というと誤解がうまれそうだが、そうした言葉が醸し出す雰囲気が、今の教育の世界を覆い始めているようだ。
いや、それを一概に悪いと言っているのではない。私だって、毎日やっている指導は同じようなものだからだ。ノートの取り方からはじまって、教科書の読み方まで指導する。そうしなければ結果がついてこないし、結果を出すために授業料をいただいているのだから当然なのだが・・・
でも、これで良いのだろうか? という疑問はいつも持っている。
自学、自習、と言えば自発的な学習だと思ってしまう。が、それを言えば言うほど、与えられたものしか学習できなくなる子をつくってしまう。同時に、今の子供たちは「与えられること」になれてしまっていることも確かだ。与えられないと「野放図」に走ることも間違いない。
本当に難しい