わからない
子どもの「わからない」は大切にしなければならない。「わからない」を「わかる」にするのは指導者の役割だ。同時に、よい指導者は、時にこどもを「わからない」に導く。
勉強はいくつもの「わからない」を克服することで進んでいく。だから、出来ない生徒は「わからない」にぶつからない。何か質問は、といっても、出来ない生徒は質問が出来ない。出来る生徒はひとつの授業の中でたくさんの「わからない」にぶつかる。
もうひとつ。「わからない」を乗り越えるのは生徒自身だ。指導者はそれを援助することが出来るだけだ。どんなによい指導者でも、生徒になりかわって「わからない」を「わかる」に変えることは出来ない。そんな魔法は存在しない。
どんなに丁寧にできない問題を解説したとしても、そして、生徒がわかった気になったとしても、それは本当に「わかった」ではない。自分のチカラで考え、解決し、解いていくこと。生徒が苦しむこと。それでしか「わかる」は手に入らない。
だから時に突き放すことも必要になる。いつも、いつも、ここはこうでしょ、とやさしく接するのがよい指導者ではない。教育はサービスではない、というのはそういう意味だ。生徒が自ら考えることをうながすために何が出来るか。いつもそれを考えている。
? ? ? がたくさんある場所。
そして、その ? ? ? をこども自身の手で解決させていく場所。
それが子どもにとってはよい学習環境なのだ。私はそう考えている。