どんな場合でも「自分の進路は自分で決める」ことだ
昨晩、授業後に高3の△△子と話し合い。細かいことはここには書けないが、わたしが彼女に強く繰り返したのは、自分の進路は自分で決めろ、ということだ。それは、△△子のあるひと言にわたしが反応したからだ。
部活をやめられない。
部活をやめられない、という言い方は、自分の生き方を他人に委ねてしまっていることになる。部活を続けるか辞めるかの判断は「自分」がするものであって、誰かに決められるものでは決してない。
部活を続けたい、なら話はわかる。やめられない、は絶対にダメだ。
しかも、ここで部活を続けることは、大学受験をあきらめることにもなる。そんなとんでもなく大切な決定を他人に委ねたような言い方をしたのでその部分を徹底的に責めたのだった。
話しているうちに、本人の言いたいこと、本人の本当の気持ちが少しずつわかってきた。彼女も、自分で話しているうちに気づいていったのだろう。
その競技が好きで、高校生の最後により高いレベルで自分を試したい。でも、大学ではその競技は継続したくない。できれば、自分の進みたい進路に向けて勉強とも両立したい。
最後は、自分にとってなにが大事で、なにを大事にしたら良いのか、なにを柱とすべきかがはっきりしたようだ。わたしも精一杯サポートしていく。
それにしても、大学でもその競技を続けていくという生徒が優遇されレギュラーになりやすい、なんて話し。そんなことは1人の高校生の思い違いであって欲しい。いったい何のための、誰のための部活動なんだと愕然とする。
ほんとうに考え直さないといけない時だと思う。