国語の授業
私は電車で通勤しているのだが、最近は電車の中でもその日の授業の予習をしないと追いつかない。とくに国語の題材だ。小5から高3まで、毎日の授業であつかう教材は膨大な量になる。それも、児童文学から河合隼雄(もう少し生きていて欲しかったなぁ。合掌)の文章までと多種多彩だ。
それでも、あらためて国語の授業の面白さを再確認している。私はもとをたどれば国語の教師だ。中学、高校で国語の教師を7年ほど経験している。だが、塾をはじめてからはほとんど国語の授業を担当してこなかった。数学や理科の方が、目に見えて学力を伸ばす事が出来るし、塾の教師としても腕の見せどころがたくさんあったからだ。
国語の授業は題材を中心として「人」と「人」のぶつかり合いという面がある。自分のまわりの世界を、言葉によって「分割化」し「系統化」する作業でもある。それを発達段階に合わせて後押ししていく作業でもある。
得点をあげさせるという仕事を主とする、塾という現場にはあまりなじまないが、そうした腰を据えた取り組みが出来るのも夏期講習の良いところだと思う。