試験範囲について思うこと
同じくM中の中3国語の範囲。「さくら」「たんぽぽ」「春望」「温かいスープ」「弁論」「ヒロシマと平和についての詩」というもの。この先生はほとんど教科書は使わない。授業であつかう題材は自分の趣味を押しつけているとしか言いようがない。教科書や指導要領はどうなってしまったのだろうか。何でも好き勝手にやって良いというものではない。それをしたいのなら“私塾”でも開かれてはどうだろうか。少なくとも教科書は税金で買われているものだ。貴女自身も税金で雇われている。教科書の題材を使う中で、自分の思いを生徒たちに伝えることが本来の姿ではないだろうか。
こうしたことが普通に起こってしまうのは、学校の中に「外部の目」が全くないからだ。教科担当の先生が何をしようが、どんな進度で授業を進めようが、チェックする機関はない。内部にないだけでなく、外部からそうしたことに口を出すと「モンスター○○」と呼ばれて忌み嫌われてしまう。
教員の質の向上、などとマスコミでもよく言われている。多くの先生方は一所懸命にやられているのはわかっている。上の先生方も一所懸命なのだろう。でも、基本をはずしてはいけないだろう。少なくとも試験範囲がこれだけぶれてしまったり、教科書をほとんど無視してしまったり、といったことは禁じ手だと思うのだが
問題は、そうしたことを「教え、諭して」あげる人なり、機関なりがないことだと考える。一所懸命さだけではどうにもならない。決められたことはきちんと守っていく。自分の主義がどうであれ、仕事は仕事として進めていく。与えられた環境の中で自分なりの工夫をしていく。社会人として当たり前のことを教えてもらえない、そんな不幸なことはないと思う。
私がこんなことをいってもどうしようもないが 今の学校はそういう状況でもある、ということをみなさんに知っておいていただけたなら、と思っています。