我が子を客観視する

子供たちに「教える」上で最も大切なことは何だろうか。私は「客観的に子供を見る目」だと思います。お母さんが子供に勉強を教えることが難しい理由は、この「子供を客観的に見る目」を持ちにくいからです。どうしても感情的になってしまい、ついイライラしてしまうからです。子供に何かを教えるとき、教える側がイライラしてしまってはお終いです。とにかく気長に、根気強く対していかねばなりません。気長に構えられなくなったら、教える側の負けになります。

一方で、親の子供対する期待というのは際限がありません。親はひたすらに子に期待をかけます。ですから、子供のマイナス面には目をつむってしまいがちです。もう本当に良いところだけを見たがるモノです。たとえ今回の数学のテストが40点でも、いつかは100点が取れる、いやとれるはずだ、となってしまいます。そこには何の根拠があるわけでもありません。ひたすらな親の子を思う気持ちがあるだけです。

どんな子供でも、生まれたばかりの時の可能性は無限大です。それが成長するにつれて、少しずつ、少しずつ、その可能性は削られていきます。誰もがイチローや石川亮になれるわけもありません。大切なのは、そこでどれだけ「客観的に我が子を見ることが出来るか」ということだと思うのです。

親の期待が大きいほど、子供がその期待に答えられないと知ると、プッツンと切れてしまうお母さんがいらっしゃいます。切れてしまうともうダメです。それまでの期待が大きかった分、余計に子供から手を離してしまいます。子供もそれまでの親の期待から解放されて、糸の切れたタコのようになってしまいます。よくあるパターンです。

期待しちゃダメだと言っているのではありません。客観的に状況を分析し、その上での期待ならば、それは叱咤激励になります。とにかく、今の現状を冷静に把握するようにしたい、ということです。良いんです「親の欲目」はあって当たり前。かわいい我が子ですから。でも、そうした「親の欲目」を冷静に見つめるもう一人の自分、というものも持っておきたい、ということです。

我が子を客観視する。なかなか難しいことですがひよこ

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次