受験を自分のものとしてとらえられるか
小6生、高3生の面談を続けている。
私立中学入試は12歳のこどもたち、大学入試は18歳のこどもたちと、その取り組み方は大きく違うはずだ。でも、程度の差こそあれ「受験を自分のものとしてとらえられるか」ということが成功するかどうかの大きな要素だと思う。
小6のこどもたちは、やはり親に依存する部分が大きい。というよりも「お母さんのために勉強している」といった面が大部分といっても良いかもしれない。それでも、2月1日の試験日に実際に問題に向かっていくのは生徒自身だ。これから2か月とちょっとの間に、少しでも「受験を自分のもの」といてとらえられる気持ちを鍛えていく必要がある。
高3生はさすがに誰もが「自分のものとして受験をとらえられている」はずだ、と思うのだが、なかなかそうはいかない。「親が大学には行きなさい、というから」といったレベルの生徒はまだまだ多い。何のために大学にいくのか、明確な答えを見つけられないままここに至っている生徒もいる。
さすがに、自分のものとして受験をとらえられている生徒はつよい。過去問の演習をしていても、間違った問題に対する対処の仕方が違う。そもそも問題への取り組み姿勢が真剣だ。自分のことなのだ。あと2ヶ月とちょっとの時間しかないのだ。ここでの間違いはゼッタイに修正しなければならない。そんなつよい気持ちがある。
12歳と18歳。どちらも受験生にはちがいない。どれだけ「自分のもの」として受験にのぞめるか。それが合否のすべてだということ。腑に落ちて欲しい。それと、お父さん、お母さん。「何のために勉強するのか」「何のための受験なのか」そんなことを繰り返し問いかけてください。自覚をうながすにはそれしかありません。
受験生としての姿勢をしっかりともってもらうこと。それがここからの私の仕事でもあります。