自己分析
昨日、新しく「就活支援のための講座」をひらくにあたって、それを支援する業務をおこなっている会社の方とお話をした。「就活支援講座」を開きたいのは山々だが、何しろこの時期から4月までは受験生をかかえながら新学期の準備もしなければいけない多忙な時期。就活支援講座をひらこうと思うとその時期とかぶってしまうので、私自身が大丈夫かどうかが心配で二の足を踏んでいる。
私が出来ることは何か、と問われれば、明確な自己分析、それをもとにした就活への明確な道筋を描くこと、エントリーシートの添削、面接の指導、などということになるだろうか。昨日お話しした企業さんが提供しているのは全18講座程度のカリキュラムだ。その気になれば今すぐにでもスタートできるのだが このblogを見ている卒塾生などがいて、是非ともお願いしたい、などという要望があったら踏ん切りがつく
就活で何よりも大切なのは「自己分析」だろう。これがしっかりなされていないと、軸がぶれてしまって、エントリーシートも面接もうまくいかなくなってしまう。軸がないということは企業側にすぐに見破られてしまう。ただ、自己分析というのは終わりなき旅のようなモノだということは一昨日も書いた。あくまでも仕事を選択する、という意味での自己分析であり、自分探しのための自己分析ではない。
こうして考えてくると、大学3年次に「明確な自分」をもつためには、少なくとも高校受験からしっかりと自分と向き合うことが必要だと思っている。高校受験から就活まではたった5年間しか時間がない。この5年間の積み重ねがどうかということが、就活時の自分の軸を決めていく。高校も前期選抜、大学もAO入試、という学生がすべてそうとは言えないが、少なくとも高校受験や大学受験で自分と向き合って葛藤した学生とはあきらに違いが出てくる。
こどもたちにとっては、受験というのは「自己分析」の恰好の機会なのだと思う。以外とツヨイ自分がいたり、思いの外に弱気の自分がいたり、といった気づきは受験のもがきの中でしか見つけられない。また、家族の大切さや友達の良さ、そんなことがわかるのも受験を経験してのことではないだろうか。
自分を追い込む機会のほとんどない今のこどもたち。せめて高校受験や大学受験では、自分を追い込む機会を持たせたい。それが親の務めのような気がするのだが。違うだろうか。今のこどもたちは守られすぎでいる。それが悪いとはいわない。ただ、だからこそ、親がその気になってこどもを谷底に落とす気構えを持つ必要があるのではないか、私はそう思っている。