「やればできる」という言葉が嫌いです

わたしは「やればできる」という言葉が嫌いです。もう少し説明すると、根拠のない「かならず合格できる」といった根性論を根っこにおいた言葉が嫌いだ、ということです。

入試は根性でどうにかできるものではありませんし、指導者としては「根性」を満ちだした瞬間に失格です。どこまでも客観的に、データをもとにした指導でなければなりません。生徒が熱くなればなるほど、こちらは醒めた目で対応すべきです。

ですから、昨日の話しあいも、子どもたちにとっては「厳しい」ものになったと思います。もうちょっと「頑張ればなんとかなるぞ」といった言葉をかけて欲しい、と子どもたちは思ったことでしょう。わたしはあえてそうした言葉は使いません。どこまでも冷静に、楽観論を排除して話しを進めます。

自分がこだわってきた第一志望校です。でも、ここで、どうしてその学校なのか、と問いかけ直すことも必要です。それでも「やっぱり△△高校だ」となるのであればそれで良いでしょう。いやいやそこまでこだわる理由はないな、となるのであれば志願変更すれば良いのです。

と同時に、正月の合宿以来、客観的な数字のデータは積み上がってきています。これは動かせません。積み重ねた数字には自信を持つべきですが、根拠もなく「まだ伸びる」などという段階でもないことは事実です。あくまでも「今の自分」を客観視すべきです。それで足りないのであれば、高校に進学してからの「次のステップ」でやり直すのです。

先ほど、中3生のお母様方には、ひとりひとりに昨日の生徒との話し合いの内容をメールしました。電話などよりも文にした方が真意が伝わるだろうと思うからです。親としても厳しい選択になるでしょう。子どもの挑戦を応援したい半面、やっぱり合格するという成功体験も得て欲しい、といった相反する思いが交錯するはずです。最後は、わが子が「いかに前を向いていけるか」だと思います。そして、しっかりとわが子と向き合って話をして下さい。それが最も大切です。

親も試されています。

2017年2月2日のブログから
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