先人たちの「思考回路」を自分の中でたどってみることから

高3生の国語の授業では、写真にある本の中から2つほどのエピソードを取り出して読んでもらい、その内容を要約するという宿題を課している。

この本は、桐光学園でおこなわれている大学訪問授業をまとめたものだ。様々に日本の一線で活躍されている方を学校に呼び、子どもたちの前で語っていただく授業を書籍化したものだ。

短い文章だが高校生の「知」を刺激する内容がずらりと並んでいる。

平田オリザ「わかりあえないことから」

近年はコミュニュケーション能力とヒステリックになっているようですが、そもそもいったいコミニュケーション能力ってなんなの? という問いかけからはじまります。マツコロイドというロボットの例や様々なワークショップの例などが出てきて、良いコミュニケーションとは、相手の発するコンテクストを受けとめた上で「ちゃんと受けとめているよ」というシグナルを返してあげることだ、と話は進んでいきます。教育で身につけていくべき能力は、異なる価値観、文化的な背景をもつ人とどうにかうまくやっていく力なんだ、と。わかりあえないと認めるところからコミュニュケーションははじまるのだと。

これは先週読んだ話題だ。

千田有希「批判的想像力を持って生きる」は、大学に進んで勉強することの意味を問いかけます。それも「大学は制度化されたムダだ」という話しからスタートしていきます。木村草太「憲法学から学べること」や杉田敦「教科書に書いていない政治のこと」などは今を生きる高校生に政治に対する興味を見開かせる内容になっている。

この本はAmazonなどでも購入することが出来る。高校生はこうした本を読んで「知」を磨くことだ。自分の中に「思考の回路」を構築できないと、何かを考えることはできない。思考の回路は、まずは他の人の回路を自分の中でたどってみることによってつくられていく。自分が考えたことがある範囲だけ、自分の経験則の中でだけ思考していても、それは決して発展していかない。

そのためにも「知」の先駆者たちの文章に接し、それをきちんと追いかけることが必要だ。そして、どうしてだろう、なぜだろう、いや違うんじゃないか、と様々に考えてみよう。そうして身につけた「批判的精神」こそが「国語力」といえる。

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