「書く」ことの持つ意味

今回の「10分良書作文コンクール」で小学生の部の最優秀賞を受賞した子のお話です。

8月のある授業日の前にその子のお母様からLINEが入り、作文の宿題がどうしてもできない、でも、何とかして書かせたいので今日の授業に持って行かせるから見てほしい、ということでした。本来はこの作文コンクールは指導をしてはいけないことになっているのですが、指導にならないレベルで彼の書くことをサポートすることにしました。

授業に来たKくんに話を聞くと、そこそこ書きたいことの中身は決まっていました。ただ、プロットを作ることが出来ずにいたのです。わたしはじっくりとKくんの話を聞いてあげました。彼は「どうして体育の授業の時とサッカーをしている時の走る速さがちがうのか」といったことに疑問を持って、そのことを書こうとしていました。今回の作文の課題は「違った見方をすると今までと違う何かが見えてくる」というものです。わたしはKくんに「どうしてそうなんだろう」と考えさせました。わたしの意見はいっさい言っていません。

わたしとの対話を通じてなんとなくプロットが自分の中で出来たのでしょう。ぶつぶつつぶやきながらKくんは一気に文章を書きました。それが今回の作品です。わたしもまさか彼の作品が最優秀賞に選ばれるとは思っていませんでした。でも、相沢先生の講評を聞いているうちに「なるほどな」と思えてきたのです。彼の結論は「授業の時は緊張するけれど、サッカーをしているときはそれがないので速く走れるのだろう」というものでした。小学4年生の素直な考えです。しかし、なるほどなぁ、と思わせる説得力もあるものです。違った見方もしっかりとしています。

文章を書くということの意味を私は彼から学び直しました。自分の中にある「モヤモヤした何か」を文章を書くことによって「はっきりと見えるものにする」ということです。Kくんはわたしに話をしているうちに少しずつ自分の中にあるものが言葉になり、それがプロットとなって文章となっていったのです。「書く」ということの大切さの原点を見たように思います。Kくんにとってもこの受賞が、彼の「書くことへの苦手意識」を払拭するきっかけになるとうれしいです。

「書く」ことは自分の中のゴチャゴチャをしっかりと整理して表出する手段です。「書く」ことをしないとゴチャゴチャはそのまま自分の中に沈殿し、わけのわからぬまま何かを生まぬどころか次の混乱を大きくしていくだけです。「書く」ことを大事にしたいですね。

小学生の部最優秀賞  「クラスメイトの足の速さ」 K.N.くん

体育の授業とスポーツのサッカーでは足の速さが違う人がいます。体育の行事では、五十メートル走のタイムを計っています。ぼくは八秒台で相手は九秒台です。でも、サッカーをしているときに五十メートル走のタイムを計るとぼくよりも速かったのです。なぜかサッカーをしているときだけぼくの方が五十メートル走のタイムが遅いのです。手を抜いているのかと思ったけれど、あせもちゃんとかいているし、いきぎれもしているので、ふしぎでふしぎでたまらないのです。サッカーの時も同じなのでどうしてなのかがわからなくて、見る目がかわりました。そんなある日なぜそうなるのかよそうをかんがえてみると、学校ではみんながいるからきんちょうしていて、スポーツのときのほうががっこうのときよりも人数がすくなく、きんちょうしないためサッカーのときのほうが足が速くなるとよそうしました。