文系と理系

高校生になると「わたし文系だから」「ぼく理系だから」といった言葉がすぐに出てくるようになる。私は、こうした言葉がとにかく大嫌いだ。即座に、「二度とそうした言葉を使わないように」と生徒を説教することになる。とくに「文系だから数学はいらない」とか「理系だから社会はいいや」といった言い方は許さない。

そもそも、文系だとか、理系だとかいった分類をする必然性がない。経済学部に進学する生徒も数学が必要だし、生物資源に進学した生徒にも民俗学は必要なはずだ。国公立大のセンター試験では、工学部の進学を目指す生徒にも古文や漢文が課せられるし、法学部の進学を目指す生徒にも理科が課せられる。それでいいと思う。

息子が学校の授業で「情報処理」を選択しているらしく、「BacicとC言語の基礎」を学習しているとのこと。先日、私が使わなくなったwindows_mobileが動くPHS端末を息子にゆずったばかりだった。「windows_mobileでbasicやCが動く無料のアプリがあるはずだぞ」とネットを検索するとあった。さっそくダウンロードして動かしてみる。「print 37+8」「LET x = 100 LET x = x + 1 PRINT x」「お父さんはプログラミングも出来るんだ」「こんなの子供の遊びと一緒。でも、知っているといろんなところで使えるぞ。excelのマクロにも応用できるし。」「そうなんだ。」

簡単なプログラミングなどは、いろんなことにつながっていく。文系とか理系とかには全くかかわりがない。情報を整理してまとめる能力がこうしたことで養われていく。極端な言い方をすると、basicでちょっとしたプログラムを作ることで、国語の作文の力が身につくといっても良い。

文系、理系などと言った考え方は、自分の不得意分野を隠す隠れ蓑に過ぎない。もちろん、自分の志向が物理に向かっているとか歴史に向かっている、といった区分けはあるだろう。が、それはあくまで自分の向かう方向を示しているだけだ。高校生は、数学も国語も社会も理科も、基本的な教養としてしっかりと身につけるべきだ。その何もかもが将来の自分の血となり肉となっていくはずだ。

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