高校の新指導要領
高校の学習指導要領の改定案は「習うべき英単語を4割増やし、英語の授業を英語でおこなう」「理・数で前回削除した部分を戻す」など、「ゆとり路線」の変更が目につく。そして同時に、初めて「義務教育の内容も必要に応じて教える」と書いたことも特徴に挙げられる。・・・文科省の担当者は「中学校を卒業する生徒がすべて中学段階の学習内容を身につけているわけではない現実を明記し、どんどん再学習してほしいというメッセージを出した」と話す。・・・文科省は近年、公立高校について都道府県や校長の裁量を広げ、カリキュラムの自由度も高めてきた。結果、難関大学を目指す進学重視校から中退者が毎年多数出るような学校まで、学力差が以前にも増して広がる状況が生まれている。・・・義務教育でもなく、学校によって授業のなかみも生徒のタイプもまるで異なる高校の学習内容について、一つの指導要領で基準を示すのはもはや難しくなっているのではないか。・・・高校の位置づけをどう示すのか。しっかりと議論して方向をさぐるときにきている。
私もこの解説文の通りだと思う。神奈川県の公立高校を考えても、10校の進学重点校と、入試をおこなわず自由に時間割を組みキャリア教育を重視するフレキシブルスクールまで多様化した。それらの学校をひとくくりにして「指導要領」を作成することがムリなのだ。
子を持つ親として考えておかねばならないのは、親として高校教育に何をのぞむか、ということだ。miyajukuの保護者の方にはいつもお話ししているのだが、現在は、親が子の教育に対する責任を重く負わされている時代なのだと言うこと。選択の自由は選択の責任を負うことに等しい。政府や自治体は「多様な選択肢」を用意はするが、その選択の責任を負うことは決してしない。
高校進学を他人任せにはできないし、してはいけない。もちろん子供任せなどはもってのほかだ。選択の責任を子供に押しつけてはいけない。子供がこう言っているので、という言葉は親の責任を放棄しているに等しい。子供の考えに耳を貸すことと、その言いなりになることは全く違うことだ。
逆に考えると、これだけの自由な選択が出来る時代状況を喜ぶべきなのだと思う。