国公立大の運営交付金削減
ここだけでなく、全国のあらゆる国公立大で緊急アピールが出されている。
菅内閣が決定した「財政運営戦略」の「中期フレーム」では、財政対象支出は前年度を上回らないこととしている。社会保障関係費の伸びを考えると、その他の財政支出は年率8パーセントを削減していくこととなるらしい。
これを国立大学の運営交付金に当てはめると約927億円。大阪大学と九州大学の2つの大学が消滅する金額になり、地方大学や小規模な大学だと27大学を消滅させる規模の金額という。また学費を学生1人あたり年間23万円値上げしないと埋められない金額になると言う。
もちろん、国立大学への交付金だけではなく、私立大学への交付金の削減も求められている。こちらは、学生1人あたり十数万円の負担増に相当するという。
とても難しい問題だ。国公立大学だからと言って、その運営に効率性が求められなくて良い、というわけではない。財政難や日本の全体の経済のパイが縮小する中で、大学教育だけが聖域であってはいけない。だが、一方では、学問の領域に効率性の論理ばかりを持ち込むことにも違和感を感じる。少数民族の言語を学ぶことがどんな経済的な利益をもたらすか? なんて議論そのものがなり立つモノではない。
国公立大学は、この7年間で少しずつ運営費を減らされてきている。その分は、自分で稼ぎなさい、ということだ。理系の大学であれば、企業との共同研究などお金を稼ぐ手だてもあるが、文系の哲学や教育、思想系の学部はそれも難しいだろう。これ以上の削減はムリだ、という中での今回の一律8パーセント減の話が涌いてきた。大学側が危機感をいだくのは当然だろう。
miyajukuで学ぶ生徒たちも、大学に通っても満足な学習環境が与えられないとなると、何のために勉強するのかといった目的そのものに疑問を感じてしまうだろう。
子供手当や高校無償化へのムリが、こうした運営交付金削減という話につながっているのは間違いない。子供手当か大学の経費削減か、といった二者択一ではなく、これからの日本の教育をどうしていくのか、といった根本的な議論こそ広くおこなうべきではないだろうか。
個人的な意見としては、今の国公立大学の授業料は高すぎると思う。トップレベルの「知」が集まる場所なのだから、それ相応の負担を税金でおこなって当然だと考える。高速道路の無償化よりも、大学の運営交付金に税金を使うべきだ、というのが私の思いだ。