勉強の「型」

勉強が出来ない生徒には決まった共通点がある。

それは「型」がないということだ。

同時に、今の学校教育が最も置き去りにしてしまっているのがこの「型」の指導だとも思っている。とくに「ゆとり教育」の導入以来、あまりに「わたし」や「個」を中心に据えた教育がおこなわれ、「型」を教えることを「押しつけること」と勘違いした指導が続いている。

スポーツでも「型」はとても重要だ。とくに柔道や剣道などの武道は「型」にはじまって「型」に終わる。「わたし」や「個」が出てくるのは、ある一定の「型」を身につけたあとだ。野球だってそうだろう。プロの選手でさえ、たくさんの素振りやシャドーピッチングをしているはずだ。

勉強にだって「型」がある。というよりも、勉強というのはそれぞれの教科の「型」を学ぶことだとさえ言えるだろう。そのことを勉強が出来ない子は良くわかっていない。私が授業中に「まずは真似ろ」ということの意味がよくわかっていない。何度繰り返しても「自分なりの方法」をやってしまう。

とにかく「真似ること」を大切にして欲しい。学校と塾は違う。学校の価値観は「自分勝手」が是だが、塾は「自分勝手」は非なのだ。学力を身につけるのに「自分勝手」は敵だからだ。まずは最良の「型」を身につけること。それを徹底して欲しい。

中学、高校の学習は「型」にはじまり「型」に終わる。学習の中に「個」が出てくるのは大学生になってからだ。「型」は「基礎学力」と言い換えてもいいだろう。ここがしっかりしていないと、あとで積み上げたモノはすぐにくずれてしまう。

私の指導はある意味で窮屈かもしれない。学校の先生とは全く違うはずだ。それは「型」を学ばせることに注力しているからだ。数学のノートに図を小さく描くことを私は嫌う。そんなのどうでもいいじゃん、と生徒は思っているだろう。でも、それが数学を学んでいく「型」のひとつなのだ。

とにかく「型」を学ぼうひよこ

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