寺脇研
「世界と競争する社会から成熟社会に移行しよう。そのためにはゆとり教育が必要だ。」というのが彼のそもそもの主張だ。今回も「まだ成長をのぞむのですか? いつまで競争志向を捨てられないのですか?」と繰り返している。「今の時代は、第三次産業が中心になっています。ここで必要とされる人材は、自分の頭で考え、付加価値を創造する力を持った人間です。そのためにこそゆとり教育が必要なんです。」と主張している。
確かにもっともらしい意見ではある。私はこの人の考えに大きく二つの点で疑問を呈しておきたい。
ひとつは、多様な価値観を持つためのゆとり教育が、実はあるひとつの考え方を子供達に押しつけていないだろうか、ということだ。第三次産業が中心になったとしても第一次産業や第二次産業がなくなったわけではない。割合が変化するだけだ。将来の日本でも、ある意味製造業が経済の牽引役であり続けることには変わりないはずだ。そうした点で、「読み・書き・そろばん」とゆとり教育で揶揄される「基本的な知識理解」は必要であるし、人に命じられた仕事をきちんとこなす人材の育成も必要だ、ということだ。ゆとり、という考え方もあれば、職業技能を身につける、といった教育もあるということだ。
もうひとつ、「豊かな社会に生まれた子供達に、将来に備えて学べといってもムダなことだ。学習に対する意欲に欠ける子供が増えた、というゆとり教育に対する批判があるが、それは先進国共通の悩みであって、ゆとり教育の所為ではない。」と主張しているが、これは教育の放棄と言って良い。教育行政をあずかっていた者の言ではない。人間が競争をモチベーションとして生きていく生き物なのであれば、その競争の原理を上手に教育に取り入れていく必要があると思う。絶対評価をはじめとする競争原理の放棄が、いまの子供達の学習意欲をそいでいることは事実だ。それならば、絶対評価と相対評価をミックスした評価法を考えるのが教育を引っ張っていく者の役割だろう。
やはり、この人の考えは、現場を知らない理想論者のモノでしかないようだ。