「血液型」についての話題

miyajuku内では話題にしてはいけないことがひとつだけある。それは「血液型」についての話題だ。

私は「あ、やっぱりあなたはA型ね」だの「O型の人は○○ね」などと、血液型で人の性格を類型化して話題にしたがる人が大嫌いだ。そうした話題がはじまる場からは静かにいなくなるようにしている。当然、私の友達で、そうした話題をする人間は一人もいない。家族も話題にしない。

miyajukuの生徒たちも、「塾長は何型ですか?」なんて質問をしても「くわがた」とか「がたがた」と、はぐらかされてしまう。そして、血液型で人間をパターンわけすることの無意味さについてコンコンと説教される。自然、miyajuku内では「血液型による性格わけ」などといったバカげたことを話題にする生徒はいなくなる。

さすがに自分の血液型は知っているが、妻や子供たちの血液型は知らない。知らないと言うよりも、意識して忘れている。

とにかく、血液型の話がはじまると私は不機嫌になる。きらいなのだ。正しいかどうかを自分で判断せず、A型だから○○だ、とか、B型だから△△だ、と言う人間が嫌いなのだ。何の根拠もないことを、何の疑問もなく受け入れてしまう姿勢がイヤなのだ。

血液型でわかることは、日本人の39%がA型で、O型が29%、B型が22%、AB型で10%だということ。人種によってこのパーセントに特徴があること。日本の国内でも、九州、中国、四国にはA型が多く、東北にはB型が多いこと。そのことから、稲作を伝えた人たちはA型の人たちで、それ以前に北から日本列島に移住してきた人たちはB型だったこと。そうした統計的な事実だけが血液型からわかることだ。さらに、血液型というのはABO式以外にも、Rh型やMN型など様々な分け方がある。細かく分類すると二百数十種類になるそうだ。

そもそも人間を4つのパターンに分けるという姿勢が気に入らない。人を野菜の選別のようにA型、B型、O型、AB型と分けてその性格を判断する方法は、人の体型をやせ形、やややせ形、普通、肥満などと体型わけして性格を類型化することと同じだ。

子供たちには「ステレオタイプ」になって欲しくない。情報を自分で区分けして、判断する能力を身につけて欲しい。

血液型による性格判断は、無批判な情報の受け入れにつながります。同時に、そうした姿勢は差別につながることも忘れてはなりません。「血液型性格診断」などで、○○型は好戦的だ、などと類型化されたものを受け入れることは、そうした人たちに対して、前もって好戦的という印象を持ってしまうことになります。こうした先入観は差別につながっていきます。

血液型による類型化には何の根拠もないのです。

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