小5生の国語の授業から見えること
昨日はこんな問題をやった。
文章中の「弟がメモを取りながら調べているぼくに」の部分に読点(、)を一つ打って、メモを取っているのが「ぼく」であることがはっきりするように書き直しなさい。
9人の生徒のうち、問題の意味が理解できなかった生徒が5人。何となく出来たが、正解できなかった生徒が3人。正解だったのは1人だけだ。
「弟が、・・・」という文と「・・取りながら、・・・」の文を比べてごらん との私の問いかけにやっと読点が文の中で果たしている役割に気づいてくれた。さらに、「仮名づかい」の意味、「カタカナで書くべき単語とは」なんてことも教えていく。こんなことさえも、今の学校の国語の授業では教えられていないのだ。
読点の打ち方はとても難しい。この年齢になっても迷うことが多くある。だからこそ、読点の使い方一つで文が読みやすくなり、打ち方を間違えるとおかしな意味が伝わってしまう、ということを小学生の早い段階から知って欲しいと思う。
いつも言っていることだが、小・中学校の国語の授業が「心を豊かにする」なんて目標に偏っていて、日本語のチカラを身につける授業になっていないことが問題のひとつだ。日本語を正しく使えないのに英語を学習してもしかたがないと思うのだが
この程度の読解力しかないのであれば、社会科や理科の授業内容も理解できているのだろうか? 算数の文章問題の意味がわかっているのだろうか? といった疑問もうまれてくる。確かに、3.6リットルの1/3を使い、残りの1/5を使うと何リットル残りますか? といった問題になるとお手上げになる子供が多い。2段階の問題になると思考がショートしてしまうのだ。これなども、普段からの論理的な思考の積み上げがなされていないからだろう。
普通のことを普通に積み上げていけば良いだけなんだが。今の学校教育は、あまりにいろんなことを身につけさせようとしすぎなのだろう。