厳しい言葉

受験クラスの小6生をこの数回の授業でかなり厳しい言葉で叱咤した。

この時期まできたら、ひとつひとつのことにどれだけ真剣に取り組めるか、それが勝負になってくる。それなのにあまりの自覚のなさにはがゆくなっている。確かに、12歳の子供たちだ。自覚を持て、というのがムリなのかもしれない。でも、2月1日に試験に向かうのは彼ら、彼女ら自身なのだ。誰もたすけてあげられない。自分のチカラで乗り越えていくしかないのだ。

「しっかりとやらないんだったらやめてしまいなさい。中学受験は“わざわざ”するものなのだから、やりたくないのならばさっさとやめてしなさい」

きっと、他の塾であれば禁句のような言葉ばかりだろう。こんな言葉をかけて本当に辞められてしまったならば、塾としては大きな損失になる。なだめ、すかし、とにかく継続させることが多くの塾では最優先課題だろうから。

私も、こうした言葉を日常的に使っているわけではない。ましてや、生徒や保護者の方との人間関係がつくられていない段階ではゼッタイに言わない。そろそろムチを入れたい。ここで気持ちを切り替えさせたい。スパートに入るところまで来ている。そんな「今」だからこその言葉だ。

生徒にとっては耳にいたい言葉だろう。私は、彼ら、彼女らにとってほんとうにイヤなヤツだろう。今時の子供たちは、厳しい言葉を嫌う。というよりも、厳しい言葉をかれられた経験がほとんどない。いや、お父さん、お母さんも、自分の子供に厳しい言葉がかけられるのを嫌う。

それでもあえて厳しく言う。やるからには頑張って欲しいからだ。

このやろう、やってやろうじゃないか。なにくそ。ばかやろう。オレの、ワタシのチカラを見せてあげるわ。そんな気持ちをもってもらいたい。歯を食いしばって欲しい。それこそ、今の子供たちには“死語”になってしまったものばかりだ。だからこその私立中学受験なのではないだろうか。

同じ1時間の学習でも、魂のこもった1時間にしてもらいたい。心から切に願っている。同時に、厳しい言葉をかけ続けていく。