教科書ガイドとACの広告

「教科書ガイドとACの広告」について昨日からずっと考えていた。何の関連もないような二つだが、私の心の中にモヤモヤとわき上がっていたものが、この二つを関連づけさせることで、はっきりと姿を露わしつつある。

この時期、書店に行くと「教科書ガイド」なるものが学参売り場に山積みされている。「教科書ガイド」というのは、教科書の問題やらの解答が載せられている学習参考書だ。英語であれば、新出単語から本文の日本語訳までが載せられている。これさえあれば、学校の授業など聞かなくても良いほどのものだ。

私はこの「教科書ガイド」が大嫌いだ。「教科書ガイド」を買った瞬間に、その生徒の学力の伸びは止まってしまう。なぜか。それは「教科書ガイド」を使った学習が徹底的な「受け身」の学習に過ぎないからだ。たとえば、英語の勉強をしている生徒が、haveという新出単語の意味を知りたかったとする。「教科書ガイド」には「持っている」といった意味が載せられている。辞書をひくとhaveの項目は多岐にわたって用例やら意味が載せられている。

数学も同じこと。「教科書ガイド」には教科書の問題の解法が載せられている。それを見れば何を考えなくとも解き方がわかってしまう。ガイドを使わない生徒は、まずは自分の頭で考え、解法の手がかりが見つからなければ、チャートやら他の問題集やらで似たような問題を探して解法を探し出す。

両者の違いは大きい。ガイドを使えば効率的なようだが、それは自らは何も考えずに「誰か」の解法を丸呑みしているだけだ。丸呑みした学習は自分の中に何も生み出さない。百歩ゆずって、中学1,2年生や、学力が劣っている生徒の学習ならば、ガイドを使った勉強法は許せる。しかし、高校生や本当の学力を身につけたい中学生には、ガイドを使っての学習はゼッタイに薦められない。バカになってしまう。

勉強というのは学校の成績を上げるためにやっているのではない。もちろん、とりあえずの目標として、毎日のモチベーションの維持として、学校の成績は意識されるべきだ。だが、それは手段であって、目的ではない。ガイドを使った勉強法は、学校の成績を上げることを目的化してしまう。本来の学習の目的は、しっかりとした学力の蓄積を自らの中に構築していくことだ。そのためには「自らはたらきかける学習」がゼッタイに必要になってくる。ガイドを使った学習では、そうしたチカラは身につかない。

学校の定期試験の結果は意識されるべきだし、出来ないよりも出来た方が良い。でも、ガイドを使ってその成績を上げたところで、結局は高校入試や大学入試を突破していくチカラは身につかない。定期試験の先にあるもののを意識した学習こそ継続していくべきなのだ。ガイドを使った勉強は、受け身の鵜呑みの学習法。主体的な学習法を身につけないと、就活や社会では打ち克てない。

さて、その教科書ガイドとACの広告の関連づけについては次回になります。

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