自分の物差し

子どもと大人の違いって何だろう。「オトナは自分の物差しをもっている」と私は定義している。そこに大人と子どもの違いがあると考えている。

数日前、高2生たちと理科の選択科目について話をした。物理、化学、生物のうちどれを重点的に学習するか、ということだ。高2から文系と理系を分ける学校では、理系選択者は理科を2科目学習している。でも、大学受験で必要な科目は1教科。塾では、その1教科にしぼって今からしっかりと学習させていくつもりでいる。そこで、「どの1教科にしぼる?」と生徒たちに問いかけたわけだ。

明確な答えは生徒たちから返ってこない。というよりも、自分の中に「物差し」がないので選択しようがないのだ。好きとか嫌いでもない。得意や不得意でもない。どの教科を選択するのか、というのは自分の「物差し」で判断することが必要だ。「物差し」の基準には大学入試もある。進学後の大学での学習もある。さらに、どんな仕事に就きたいのか、といった観点もある。

自分の中に「物差し」を持つためには「思考」をしなければならない。頭をはたらかせなければならない。疑問を持ち、いろいろと調べなければならない。とにかく能動的に自分から動いていかないと「物差し」は自分の中にできてくれない。今時の多くの高校生たちはそうしたことを怠っている。考えることをしていない。

考えて欲しい。工学部と理学部の違い。工学部の中の機械学科と電気学科の違い。さらにそこからつながっていく社会の中での自分の姿。何が出来るのか。もちろんその通りに進むはずはない。でも、考えることで自分の「物差し」が出来てくれば、選択ができるようになる。道を選択するというのはそういうことなのだ。

中学生も同じこと。中3の冬に高校選択をするとき、中学生なりの「自分の物差し」を持っていたい。まだまだ親がかりではあるけれども、ひとりの中3生としての「物差し」をしっかりと身につけていて欲しい。そのためにいろいろと考えていかねばならない。

みんな、しっかりと思考しよう!!

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