学校の先生による同僚教師へのいじめ事件について

新幹線で岡山に向かっています。時間があるので、最近思っていることを書いてみようかと思っています。ちなみに、この文章はiPadを使ってキーポードをBluetoothでつないで書いています。こんな使い方もできるかな、と試しています。

先ずは、先生の中でのいじめ事件 https://this.kiji.is/552813013880161377 についてです。マスコミの報道やネット上の情報から知るだけですので、どこまでが真実なのか定かではありません。いつも書いてますが、マスコミの報道は針小棒大なものが多いです。かなりのフィルターをかけてみる必要があります。

それでも、複数の先生によって、任用されて間もない先生がいわゆる「いじめ」を受けていたことだけは確かなようです。マスコミは「子どもたちのいじめの問題が学校の中での大きな問題にも関わらず、それを指導する立場の先生がいじめを行うなどあり得ないことだ」という姿勢で報道します。

確かにそのとおりです。ただ、そうしたマスコミの報道の背景には「先生は聖人君子だ」といった前近代の考えがあるように思えるのです。報道を受け取る側も同じです。「先生は誰もが人格者だ」というステレオタイプの思い込みです。果たしてそうなのでしょうか。

近年、教員採用試験の倍率は下がり続けています。とくに小学校の先生のなり手は少なくなっています。景気が良く、民間の企業に就職しやすいからですが、教員の仕事をめぐる状況がいわゆるブラックだということもあるようです。当然ですが、先生の「質」は下がっているはずです。

にも関わらず、先生の仕事ははたから見ていても膨大のようです。教科指導だけでなく、生徒指導、保護者対応などなど、本来は先生の仕事ではないものも押し付けられているのです。しかも、団塊の世代が大量に抜けて、その代わりに採用された若い先生がたくさん現場にいる。しかし、中堅の世代の先生はほとんどいない。とてもいびつな年齢構成。たぶん、若い先生方は十分な研修や指導もないまま、一人前の教師としての仕事を求められて日々奮闘しているのだと思います。

今回の「先生のいじめ事件」はそんな中で起こったと考えられないでしょうか。もちろんこの事件を起こした先生たちの個人的な資質の問題もあるでしょう。しかし、どこの学校でもこうしたことは起こりうるし、実際に表に出ないだけで起こっているかも知れないのです。そう考えた方が良いだけの現状がある、ということです。

教育にかける予算を増やし、学校の先生方が働く環境を良くすること。それは、有権者であるオトナの役割だと思うのです。どうせ変わらない、ではなく、少なくともそうした現状にちょっとでも関心を持つことは大切だと思います。

先生は決して「聖人君子」ではなく、ひとりの「ニンゲン」です。大切な子どもたちの指導を任せるのですから、その先生方が気持ちよく子どもたちと接することのできる環境を整えられるようにできるとことをやっていくべきです。

最後に。今回の事件を起こした先生たちの顔写真やプロフィールなどがネットに出ています。それこそがいじめです。やったことは償わねばなりません。しかし、それは他人が強制するものではありません。しかも問題の学校には子どもたちがいるのです。面白おかしく関わる類の件では決してありません。

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