国語の答えはひとつに決まらない?!

国語の読解問題が不得手な生徒がよく言う言葉です。

国語は人によって読み方が違うから答えはひとつに決まらない。

はたしてそうなのでしょうか。塾の先生の中にもこうした生徒と同じことを言う方もいます。保護者の方も同じようなことを思っている方がたくさんいるのかもしれません。

実は、この考え方を1mmでも持っている限り、国語の読解問題を解くのが上達することはないのです。国語の解答はひとつに決まります。少なくとも中学、高校入試や大学入試といった「受験国語」では「ぜったいにひとつの解答しか導けない」といえます。

なぜなら、国語は「文章に書かれていること」について聞かれるわけで、解答は「必ず文章中にある」からです。言葉はコミニュケーションのツールです。国語の問題文も同じです。つまり「決まったルール」にしたがって書かれていて、そのルール内で設問が作られます。ですから解答もルールにしたがってされなければいけません。

そうした意味で、国語の読解問題を解くことは、決まったルールの中でスポーツをするのと同じです。また、公式を使って図形の面積を求めるのと何もかわりがありません。解答がいくつもあっては困るのです。

「国語の解答が一つとは限らない」という意見の方は、「自分の感想」や「自分の考え」を答えようとしています。「感想」や「自分の考え」を答えるのであれば確かに解答はひとつではなくなります。そして、そうした答え方をしているかぎり、国語の読解問題をしっかりと解くことは不可能なのです。

例えば選択肢の中に「殺人は良いことだ」といったものがあったとします。道徳的には良くなくとも、本文の中で著者が「殺人は良いことだ」と述べていれば、この選択肢は正解になります。本文中に示されているものが正解で、そこに示されていないことは不正解という論理が国語にはあるのです。

よく入試に出題された文章の作者が「この選択肢の中に解答はない」などと言うことがあります。それで良いのです。作者が意図したことと違ったとしても、出題された問題文の論理の中では別の解答が出てくることもあるのです。国語の読解問題は、文章としての情報処理能力が問われている、ということです。

国語の読解問題を解くカギ。それは、文章に書かれていることに徹底的に着目する。自分の考えは徹底的に排除する。という2点につきます。国語の解答はひとつに決まらない、という感覚を持っている限り、国語の読解問題は解けません。

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