役にも立たないし、おもしろくもない、国語の文法

中学生の夏の講習では、国語の文法をまとめることを中心に授業を進めている。それは良いのだが、教えれば教えるほど、この学校文法には違和感を感じてしまう。

文節ってなんだ

たとえば「壊れている」を考えてみよう。学校文法では「壊れて+いる」と文節に分ける。それぞれが動詞になる。では、文節って何だろうか? 「意味がわかりにくくならない程度になるべく細かく区切ったひと区切り」と教科書にはある。はたして「いる」で意味はわかりにくくならないの? ということだ。

ほとんどが修飾語になってしまう

もっというと、文節に意味を持ちせた時、主語や述語になるものはほんの一部で、そのほとんどが修飾語になってしまうのにも違和感を感じる。活用を考えても、どうして形容詞と形容動詞を分けるのか。動詞に五段や上一段という活用があるのなら、形容詞にも「かろ、かっ活用」と「だろ、だっ活用」があっても良いだろう。

終止形と連体形って何がちがうの

動詞の活用だってほぼ破綻している。終止形と連体形は何がちがうの? なんで未然形には3つもかたちがあるの? いわゆる音便ってなんなの? 特別な形と言いながら「い」「っ」「ん」になるものって多くないですか? 

格助詞、終助詞、副助詞にわけて学者になるの

さらに、さらに・・・ なんで助詞を「格助詞」「終助詞」「副助詞」に分けるという研究者みたいなことを中学生にやらせるんだ、というのもいやなところ。そもそも文節で区切って、そのあとに単語に区切って、動詞や名詞から助詞や助動詞を分離させるのには疑問を感じる。もともと「ひとつの単語」なんじゃないの、とつよく思う。

日本語文法はひとつではない

学校文法は、江戸時代の国学者の理論から、橋本進吉、時枝誠記という学者たちによって体系化されたもの。日本語の文法の考え方にはこの橋本・時枝文法以外にもいくつもの理論がある。わたしは大学で「橋本文法」ではない文法も学んだ。たとえば、日本語を「拍」という単位で区切っていく体系。短歌や俳句を「5,7,5,7,7」「5,7,5」と区切っていくのと同じこと。また、動詞の活用についてもより実用的な活用形を考えよう、という授業を受けた。

役に立たないし、おもしろくない学校文法

学校の国語文法。そろそろ考え直して良いんじゃないだろうか。何の役にも立たない「国語学習のためだけの国文法学習」になってしまっている。子どもたちも「おもしろくない」と全員が思っているはず。まぁ、しかたがないから塾でも教えるが、ほんとうにストレスがたまる。

と同時に、正解はひとつじゃない、ということ。学校で教えられている文法体系でさえ、様々な考え方があり、唯一絶対ではないということ。子どもたちにはそんなこともわかってもらうるとうれしい。ひととおりの文法学習を終えたら、「拍」を柱にした文法の話をしてみようと思ってます。