塾の使命
学習というのは何を基準として考えるかが何よりも大事だと思う。基準というよりは「柱」といった方が良いかな。そしてそれがぶれないことがとても大切だ。
たとえば、何のために授業料を払って塾に通わせるのか。みんなが通わせているから、では何の意味もない。小学生ならば中学受験のため、または中学に進学してからのため。中学生ならば高校受験のため、高校生ならば大学受験のため。
そこに「柱」をおくのであれば、それがぶれないようにするべきだと思う。
たとえば、子供が「わからない」と言ってきたとき。「そうなの、わからないの。塾に行ってもわからないんじゃしょうがないわね。お母さんが塾の先生によく言ってあげるわ」ではいけない。「わからない」原因がなんなのか、学習指導の内容によっては、子供に「わからない」という気持ちを起こさせることをねらった指導だっていくらでもあり得る。
まずは「なぜ、わからないと子供が言い始めたのか」その背景から考えるべきだと思う。
私は、すべての指導をある一点に向けておこなっているつもりだ。その一点とは、たとえば高校生であれば大学入試だし、中学生であれば高校入試だ。ここで「自分の夢」を実現するには何が必要なのか。そこから指導を導き出している。
すべてはそこに向かっての「過程」にすぎない。定期試験に対する対策も同じ事だ。もちろん、それを軽視しているのではない。あくまで登り口であり、中間地点であるということだ。時には滑落もあり得る。でも、登り切ることが出来れば、それをどれだけ後押しできるか。それが塾の評価だと考えている。