お稽古ごと

朝早くから息子は雨の中を空手の練習に大学に向かった。よくも飽きずに続けられるものだ、と思う。試合が間近だという。大学は体重別らしく、体重の管理にも気をつかっているようだ。体脂肪率は10%を切るとのこと。うらやましい(^^)

昨晩も妻と話していたのだが、空手を続けてきたことが学習面に大きく役立ったのではないか、と思っている。空手には「形」と「組み手」があるが、とくに「形」の練習がいろんなことにつながった。先生の指導の下、しっかりと手の動き、足の動き、姿勢、頭の位置、などなどを見て、まねて、自分の動きにしていく。見て、まねて、やってみて、直されて。そうした練習が延々と続く。こんなことを4歳の頃からずっと続けている。「形」の技は複雑になっても基本は変わらない。きっと、今日も師範の下で同じような練習を繰り返しているのだろう。

今の学校の学習には、こうした時間が余りに少ないと思う。創造性を言うあまり、学習の初期段階で、こうした「見て、まねる」体験が削られすぎているのではないだろうか。

自分を律すること、はとても難しい。自分の意思で自分の身体を動かすこともとても難しい。そうした訓練が空手を通じて養われ、それが小学校の高学年以降の学習に役立ったのではないかと思う。勉強は自分を律することができなければ進歩はないからだ。

何も空手でなくとも、バレーでも、剣道でも、柔道でも、サッカーでも、野球でも、「見て、まねて、自分を律する」訓練が出来るものはいくらでもあるはずだ。まずは「しっかりとした手本」をまねて自分のものとし、そこから創造していく。小さな子供をお持ちのお母さん、お父さん、そんな体験をたくさんさせてあげてください。

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