30年近く前の教え子

ずっとずっと昔に、私はとある学校で教師をしていました。その頃は陸上競技部の顧問をしていて、たくさんの部員たちと毎日の練習に励んでいたことがあります。他校の先生は私を体育の教師だとみなさん思っていました。その頃の生徒たちが、時々、塾に訪ねてきたり、町で偶然にあったり、呑み会に誘ってくれたりすることがあります。

陸上競技は門外漢だった私は、あちこちの学校を訪ねては指導法を学びました。自分で砲丸投げのサークルを作り、棒高跳び用のフィールドを作り、地域をまわっていらなくなったマットをもらって、それを網の中につめてセーフティマットを作り・・・ そんな毎日を過ごしていました。

今朝も、そんな中の一人が塾を訪ねてきました。苦労していた頃です。彼に棒高跳びを教えたことは覚えています。

彼は脱サラをして、1年前に「ハッピーキッズクラブ」という学童保育の施設を立ち上げたようです。1年間たって、いろんな意味で自分でやっていく大変さを知り、たまたま二十年以上も塾を続けている私のことを知り、話をしに来たわけです。30年近く会っていません。不思議な感覚です。

仲間の塾の先生の中には、学童保育も併設している方がいます。そんなこともあったので、学童というものがどんなものなのかの基本的な知識はもっていました。もちろん、学童を経営したことはないので、その面でアドバイス出来ることはありませんが、私の思いつく限りでいろんな話をしてあげました。

生徒たちにもいつも話していることですが、成功するためには「何もかも」を求めないことです。「引けない一線」。大切なのはとにかくそこをしっかりと見きわめることです。「引けない一線」をしっかりさせ、そのぎりぎりの線を守り、それ以上は求めないことです。逆に、「引けない一線」を死守するためには、その他のことは何にたいしてでもがむしゃらに前に進めていくことです。目の前にあることを、ひたすらに片付けていくだけです。

また、自分がオーラを発し続けていれば、自然と「人」が集まってきます。そうした「人」が、いろんな手助けをしてくれます。何をするにも、「人」と「人」のつながりが必要になります。良い「人」との出会いも、何かを成功に導いていく上で重要です。

○○君。またいつでも寄ってください。私は、あの頃、何もないところから陸上部を作っていったのと、同じことをずっと続けています。それだけですが、何か得るものはあるかと思いますよ。

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