言語力が危ない
10月下旬、「言語力検定」がスタートした。言語力とは論理的にモノを考え、表現する力を指し、その低下が2000年以降進んできた、国際学力調査”PISA”での成績下落の一因と見られている。進学校でも、成績は悪くないのに「話し言葉のまま作文を書く」「語彙が少なく概念が幼稚」などの事態が相次ぎ教師たちは危機感を強めている。また、言葉の引き出しが極端に少なく、例えば「怒る=キレる」としか認識できないため、教師が注意すると何でも「キレた」と反発され、コミュニケーションも成立しなくなってきている。背景には、センター入試の普及で「書く」「話す」が軽視されたこと、携帯メールの広がりで文章を組み立てる力が育っていないことなどが指摘されている。子どもたちの「言語力」低下の実態を見つめ、育成のあり方を考える。
たとえば、次のような生徒の作文が紹介されていた。
僕がこの本を選んだのは目次です。
本来ならば、
僕がこの本を選んだ理由は、目次を見ておもしろそうだと思ったからです。
理由の部分が見事に欠落している。
また、こんな作文も紹介されていた。
僕が一番に思ったのは、西洋のクリスマスというのは、僕が特別に考えている方ではないし、日本人のほとんどがそうだと思います。
いわゆる、思いつくままを箇条書き風に書き連ねた文章だ。
いずれの例も今の子供たちに本当によく見られる文章だ。どうしてこうなってしまうのか、いくつかの理由が複合的に重なっているのだろうが、大きくふたつの理由があると思う。ひとつは携帯メールの影響だ。携帯メールは画面が限られている。どうしても舌足らずの文の書き連ねとなりがちだ。もうひとつは限られた範囲の中でのコミュニュケーションしか経験しないまま成長していくことが多くなったこと。
学校にだけ責任を押しつけてもしかたがないし、今の学校にはそれだけの教育力はない。親がしっかりと子供たちの言語力を育てていく努力をしなければいけない。