高校入試の「オモテとウラ」
たとえば、もうすぐ県立高校の前期選抜試験の願書提出です。miyajukuからは4名が前期選抜試験に挑みます。えっ、たった4人なのという声が聞こえてきそうです。その他の中3生は前期選抜は受験しません。だって、落ちるのがわかっている勝負をすることはないでしょう。前期を受験する4人のうち2人も落ちるのがわかっています。こちらはお家の方針というか、本人が不合格通知をもらって発憤したいというか、そんな理由からの挑戦です。残りの2名は、特別な学科への挑戦でもあり、実技などの試験もあるので頑張りがいのある挑戦です。
何で落ちるのがわかっているかというと、前期選抜というのは学校の成績だけで合否が決まる制度だからです。自己推薦書や面接などもあるじゃないか、という声が聞こえてきそうです。中学校では自己推薦書や面接の重要性を説いています。でも、それらが合否に占める割合はほとんどありません。成績のボーダーライン前後でそうしたものによって合否が分かれるぐらいです。そもそも面接など3段階ぐらいでしか評価をつけていないのです。数百人の面接を現場の先生たちが手分けして1日でやるのです。ほとんどを真ん中の評価にして、よっぽど悪い生徒は下の評価、よっぽとすばらしい生徒を上の評価、といったところです。結果、学校成績で合否は決まってしまいます。そんなことは毎年の合否データがきちんと証明しています。
たとえば大和高校は122~124あたりで合否が分かれます。内申が120を切っていて前期を受験しても、合格の可能性は100%ありません。そんなことがわかっているのに、面接の練習や自己推薦書を書く時間に手間を省く必要はないでしょう。そんな時間があったら、英単語のひとつ、数学の問題の1問を解いた方が良いに決まっています。つまり、特別な学科への挑戦でなければ、前期選抜は無視するにかぎるのです。
こんな制度は本当に早くなくして欲しい、というのが私の心からの願いですし、多くの方もそう思われていることでしょう。制度があるから利用する、のではなく、まともな制度でないのならば無視する、という姿勢も受験に対しては必要なのではないかと考えます。同じことは大学入試にも言えることです。どんな制度にも「オモテとウラ」があるということ。ここでそうした世の中の「フシギ」にふれることも、オトナへの第一歩だと考えるのです。