一丁前の社会人
3人の子供さんがmiyajukuに通っていた△△さんに街ですれ違った。「みんな元気でやっていますか?」という私の問いに「一丁前の社会人にするにはたいへんで」といったお答え。交わした会話はそれだけだった。
「一丁前の社会人」という言葉が私の頭に残った。親の願いはまさしくそこにあるのだと思う。一人で飯を喰っていける。世の中とつながっている。人のためになっている。「一丁前の社会人」にはいろんな意味があると思われる。
勉強というのは結局はこの「一丁前の社会人」になるためのものだ。高校受験も大学受験も、最終的には「一丁前の社会人」になるための挑戦だ。学習塾もそのことを忘れてはいけないと思う。目の前の定期試験で1点でも多く得点すること。志望の高校や大学に合格すること。それが学習塾に求められていることだ。でも、その先にあるものを私はいつも意識していたい。
同じ定期試験対策でも、過去にその先生が出題した問題を徹底的にやらせて得点をとらせるのではなく、試験範囲の単元をしっかりと理解させることで得点をアップさせたい。手段を選ばぬ学習法ではなく、しっかりと「血となり肉となる」学習をさせたいと思う。
結果も大切だが、その過程も大事にさせたい。できれば、社会人になってからも役に立つ「もののとらえ方」「ものの整理のしかた」「思考法」などなどを、定期試験対策や受験への挑戦の中で身につけていって欲しい。
卒塾生のみんなは、しっかりと「一丁前の社会人」になっているのだろうか