多くの小学生が使う「ふつう」という言葉
夏の講習で小学生には都麦出版の「文作はかせ」を使って簡単な文章を書かせています。今日の作文はこんな質問に答えながら文章を作っていく回でした。
たぶん、多くの方は小学生が書くものだから、たわいもない中でも微笑ましい未来を想像しているんじゃないか、と思うのでしょう。たとえば15年後、わたしはケーキ屋さんになっていて、毎日忙しくおいしいケーキを作っている、なんて未来です。でも、そんな想像は打ち砕かれます。
多くの小学生はつぎのようなことを書きます。
- 何年後の自分について書きますか
- そのとき、あなたは何歳ですか
- そのとき、あなたはどんな仕事に就いていますか。また、どんな学校に通っていますか
- そのときもあなたはどんな人になっていますか。または、なっていたいですか
- その日にどんなことがあったか想像してみよう
- 10年後
- 19歳
- 大学生
- ふつう
- 歩いて大学に通っている
この「ふつう」という言葉がとにかくどの子からもでてきます。「ふつう」って言葉でこの子たちがいいたいことって何なんでしょうか。子どもたちのいう「ふつう」は「みんなと同じ」という意味に近いです。
つまり、みんなと「同じ」でよい、といのが、今の小学生の「夢」ということになります。逆に言うと「ふつう」ではない、頑張って「今の自分」ではない「自分」を目指そう、ということにはならない。そんな時代の空気があるんですね。
「10年後の日記」その日は、入学式で徒歩で行きました。途中に友だちといっしょに行って30分かけて行って、ついた時には、見なれた子が周りに少しいました。その大学では、友だちがいっぱいできて、勉強が終わったあとは、外食をして家に帰りました。その後は中退せずにしっかりと勉強をしました。
これがある小5生の書いた文章です。文章を書く、という以前の問題として、文章に書く「自分」というところが難しいですね。みんなと同じ、という圧力がいかに今の子どもたちにたいしておっきいものなのか、ということもふくめて考えさせられます。
親の世代はどちらかというと「自分探し」をしていた時代かもしれません。「自分探し」は「今の自分」ではない「自分」を想像できたからこそできることです。今の小学生には「今の自分」ではない「まだ見ぬ自分」を想像することもできず、どこまでも「つながりの中での自分」が大事になっているのですね。