式子内親王と定家の妄執の愛のゆくえ

今朝は小6生の月例テストからスタート。あと3か月でこの子たちともお別れだなぁ(^^) ちょっと寂しいかも・・・

さて、昨夜の中3の授業は国語。「万葉、古今、新古今」の部分を進める。光村の教科書はあまり好きではないが、この単元で取り上げられている歌のセンスは好きだ。とくに、定家の歌の後に式子内親王の歌が並んでいるセンスは秀逸だ。

式子内親王は後鳥羽上皇の皇女。定家の日記「明月記」にもよく登場するし、新古今の歌人としても著名。とくに「しのぶ恋の歌」が多い。教科書に載っているのは「玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば しのぶることの 弱りもぞする」という歌だ。「我が命よ絶えるならば絶えてしまえ。このまま生き長らえているとこらえ忍ぶ力が弱って恋心が外に現れてしまうかも知れないから。」といったような意味。

テイカカズラというツタ科の植物がある。式子内親王が亡くなった後も彼女を忘れられない定家が、その墓にテイカカズラに生まれ変わってからみついたという伝説がある。また、能に「定家」というのがあり、式子内親王の亡霊が「玉の緒よ 絶えなば・・・」の歌を幽玄に朗する場面がある。妄執というのだろうか、死後も恋の炎を燃やし続けて苦しむ二人を旅の僧が成仏させる。「・・夜の契りの、夢のうちにと・・」と「能 定家」では式子内親王の墓にからみついた定家葛は消えていく。

現実には二人の間に恋があったのかは誰にもわからない。でも、式子内親王は定家のお父さんの俊成に歌を習っていたし、定家も式子内親王の家司のような役割を担っていたらしい。二人の関係は相当に深かったといえる。ただ、式子内親王についてふれられた文献が少なく、彼女の歌は早い時期に散逸してしまっているので真相はわからない。斎宮という神に仕える立場にあったことも、禁断の恋、という憶測をうむ原因にもなっているのだろう。

こうやって見ていくと教科書に載せて良い歌なのかなぁ、とも思えてくるし、隣に定家の歌を載せる粋なはからいはうれしくなってしまう。まあ、そんなことを考えるのは私だけかもしれないがウィンク

もちろん、すでに「恋」とは何かをおぼろげながらわかりはじめている中3生には、式子内親王と定家の関係も、能の話も、玉の緒よ・・と歌った女の思いも全部話しましたよ。こんなにどろどろとした愛なんて理解は不能でしょうし、もちろん試験に出題はされませんけど。

私の古典の授業は楽しいですよ。めったにしませんけどね。そのうち、保護者会で「式子内親王と定家の妄執の愛のゆくえ」なんて授業をやっちゃいましょうか。リクエストがあれば、の話ですが。

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