おしなべて
こういう場で政治的なことを書くことは御法度なのだろうが、ここのところ気になることがある。
価値観が多様化している中で、ある方向性を見つけていく作業はとても骨が折れる。でも、そうした方向性をすったもんだしながらも見つけ出していく過程こそが“民主主義”なのではないだろうか。そして、その“民主主義”を支えるものが情報源としてのマスコミだと思う。
そのマスコミが、いろんな事件にあたって“おしなべて”の意見しか述べないことが多すぎるのではないか。それが私が気になっていることだ。
この事件に対しては、A社はこうした見方をし、B社はああ見るか、そしてC社はそっちから見るのか。そんな意見を求めているのに、どれを見ても“おしなべて”の意見になっている。私は自宅で読売新聞、塾で朝日新聞を購読している。たまに駅売店で毎日新聞や産経新聞も買ってみる。
息子や娘に「なんでそんなことをするの?」と聞かれたことがある。「ひとつの出来事にはいろんな側面があるんだよ。そのいろんな側面から光りをあてた様々な考え方を知ろうとする努力は惜しみたくないからだよ。」と答えた。
自分という軸はあくまで相対的なものでしかない。であれば、様々な見方を知ることによってこそ、自分の中の軸がより鮮明に浮かび上がってくるのだと思っている。イージス艦と漁船との衝突事故。北京オリンピックについて。後期高齢者医療制度。日銀総裁の選び方。サブプライム問題。道路特定化財源の一般財源化について。この1ヶ月だけをとっても知りたいことはあまりに多い。
こうしたニュースを、小六の子供たちにどれだけわかりやすく、かみ砕いて説明できるか。それが私の“軸”のひとつだ。