鉄鉱石の値上げ
私はいつも学校(教育)現場と社会との乖離に目を向けている。だからこそ「本音」で子供たちにもお父さん、お母さん方にも接するよう努めている。世の中は厳しさが増すばかりだ。そうしたことに関係ないところに学校(教育)現場は存在する。「生きる力」というのは、自らの力で食べていく“すべ”を身につけることなのではないだろうか。やりたいこと、自己実現。もちろん大切なことだ。が、それらは、複雑化したこの世の中で「一人で立って生きていく力」を身につけることがあってこそ意味がある。一生懸命に働いて年収二百万円で、自己実現が大切だといわれても、言われた方は困ってしまう。
親として子供にしてあげられること。それは「教育」しかない。「知識」を持つことによって開けてくる世界を教えたい。逆に「教育」を受けずに、「知識」を持たずに世の中に出ていくことの無謀さも教えたい。とにかくがむしゃらに学習することだ。世の中は見事に選別してくる。使える人間と使えない人間。稼げるものと稼げないもの。努力するしかない。自らを磨くしかない。私はmiyajukuの生徒たちにはそうしたホンネで接している。
鉄鉱石の値上げ。原材料の値上げが製品に転化され、企業の収益を圧迫する。商品が売れなくなり、賃金が上がらない中で値上がりだけが続く。そうしたスタグフレーションがはじまるきっかけにならなければいいが。
いずれにしても、今の子供たちが成長した頃の日本は厳しい環境にあることは違いない。だからこそ、ひたすらに「知識」をひろげていく努力を惜しんで欲しくない。学習できる環境に感謝し、前を向いて進んでいって欲しい。自分のためなんだ。自分の未来のために今の努力があるんだ。そこをしっかりと自覚して欲しい。
鉄鉱石の値上げから子供の教育について話をつなげていく私の頭の中は変だろうか。