国語の力

頭の中にある「言葉の辞書」の厚さによって「国語の力」は決まるといって良い。「言葉の辞書」の厚みと「国語の力」は比例の関係にある。たとえば、「コミュニュケーション」という言葉から想像できるものを書き出してみる。

まずは単語で。今日の「公立進学小6クラス」の生徒たちの解答。会議、あいづち、友達、話し合い、気持ち、理解、仲間、などなど。まったく思い浮かばない生徒も何人かいる。

つぎに一文で。すでに単語が出てきているので、先ほど思いつかなかった生徒も少しは想像できるようになる。「気持ちを伝えあうこと」「いろんなことについて話し合うこと」「自分の心をわかってもらうこと」「大好きなペットを抱きしめること」などなどとイメージがふくらんでいく。

こんな作業をどれだけたくさん積み上げていくか。それによって「言葉の辞書」は厚みを増していく。辞書をひいて、そこに書いてある言葉を読んでもしかたがない。自分の頭の中で言葉とイメージが結びついてこそ、「言葉の辞書」の1ページにきざまれていく。

今日のテキストには「視覚的」「阻害」「情報公害」「抽象的」などといった言葉が並んでいた。そうした言葉についてイメージをどんどんふくらませていくことが、国語の力をつけていく一歩一歩になる。

小学校の教科書には、残念ながらこうした言葉が出てこない。だから、学校の国語の教科書の学習だけでは絶対に「国語の力」はつけられないのだ。

ただ読書をするだけではダメだ。もちろん、量も必要だし、音読も不可欠だ。さらに「言葉の辞書」の厚みを増すことが大切だ。