高校進学のこと
生徒にもいつも言っている。高校からが本当のスタートだ。友達関係にしても、自分の将来を考えるにしても、勉強にしても、とにかく高校がスタートラインだ。中学までの勉強はあくまでも「土台」でしかない。もちろん「土台」がしっかりしていないとその上に何も積み上がらないが、積み上げていくのは高校からだ。だから、どういった高校に進学するのか、それ以上に「どのようにして高校に進学するのか」がとても大事になってくる。
子供たちを指導していていつも意識しているのは「1人でメシを食っていける大人になって欲しい」ということだ。この当たり前のことがとても難しい時代になってている。「なんで数学なんか勉強しなければいけないの?」という質問に「仕入れ値の2割増しが1.2倍だということがわからないモノを会社が雇おうとするか?」と答えることも多い。「なんで英語なんか勉強しなければいけないの? 日本人なんだから日本語が出来ればいいじゃん」という問いに、「もちろんそれでも良いけど、英語が出来れば給料の良い仕事に就くことができる。英語が出来ることは“カネ”のためだと考えても良いんじゃない」と即物的に答えることもある。
もちろん、極端に言っていることは子供たちもわかっている。わかってはいるが、普段はこうした切り口からの表現をあまり聞くことはない。だからこそ彼ら、彼女らにひびく部分もあるのだと思っている。「自分のために勉強する」という表現では、「自分のため」ってどういうことなのかの具体像が出てこない。「自分の価値を高めるため」と言った方がより子供たちには理解しやすいだろう。
今や高校進学は受験をせずに進むもの、という流れが定まってしまっている。高校受験などということばはとっくに死語になっている。高校に進学するのに受験する中3生は3人に1人がせいぜいだろう。そんな中、どこに進学するか、よりも、どのように高校に進学するか、ということがとても重要になっている。「挑戦」するのかしないのか、その「挑戦」によって学ぶのか学ばないのか、それこそが大切な観点だと思う。親として「挑戦」させる、という選択を子供にうながすことこそが、高校進学の上で最も大切なポイントだと考える。それこそが高校進学の「先」を考えた指導だと思うのだが