国語のチカラ
何がヒドイって、少女趣味の児童文学か、平和が大切だ、といった読み物ばかりのオンパレードだからです。骨のある論理的な文章などひとつも掲載されていません。私はそうした文章を読むことがムダだと言っているわけではありません。国語という教科が持つ宿命なのですが、日本語力を身につけさせる、というよりも、情緒豊かに育てることや平和の大切さを教える、といった他の要素があまりに強い教科にされてしまっているからです。
本来ならば「国語」という授業は「日本語」でなければいけないのでしょうが、そうなっていないのが現実です。今の国語の教科書の題材は、道徳や読書の時間に読んでいれば良いのです。極論から言えば、今の教科書よりも、論語の素読をしていた方がよっぽど「日本語力」はつくとさえ思います。
また、数学や英語と言った教科は、学習塾でも積極的に応用的な問題に取り組んでいきますが、国語の応用的な問題に取り組んでいる学習塾は少ないでしょう。なぜならば、各都道府県の高校入試の国語の問題のレベルがとても低いからです。あんな読解問題はたいして勉強しないで取り組んでも何とかなってしまう、と塾の教師もみんな思っているわけです。ですから、数学や理科や英語といった教科に時間を割くことになります。
高校生の教科書はそこそこ骨のある文章も出てきます。それでも、大学入試センターの問題でさえ、高校で使用している教科書のレベルでは歯がたちません。あれだけの長さで、あれだけの内容の文章を読みこなすには、かなりの「教養」を必要とします。しかし、学校の国語の教科書を読んでいるレベルでは、そうした「教養」が身につくはずもないのです。
さらに問題は、国語という教科は最も「自学・自習」がしづらいものです。国語の問題を解くための「教養」を身につけるには、骨のある文章をしっかりした指導者の下でゼミ形式で読み込んでいく、といった学習が必要になってきます。1クラス40人近い集団指導で、そんな授業はのぞめません。結果、高校の国語の授業は、古典文法などの知識理解の授業にチカラが入っていきます。でも、早慶上智をはじめ、GMARCHの文系の国語の古典の問題をちょっと見ればわかります。古文のやっかいな助動詞の識別問題なんて1問か2問しか出題されません。しかも、ちょっとした勘があれば識別できるレベルの出題なのです。
私は学校の古典の文法の授業は聞き流せ、とmiyajukuの高3生たちには言います。そんな暇があったら、「大学受験に強くなる教養講座/横山雅彦著」なんかを精読した方がよっぽどましだからです。
神奈川県の高校入試問題国語も本当に易しいどうしようもない問題です。ほとんどが四者択一ですし、本文を読まずに選択してもほぼ正解できます。いつも、中3生たちにはそうした訓練もさせてしまいます。とりあえずは合格することが目標である指導法ですが そんな問題ですから、満点をとったとしても国語のチカラがある、といえるわけでもないのです。さすがに湘南高校の独自入試問題の国語は難しい。あの国語の問題をしっかりと解いて得点をとれる生徒をとりたい、という高校側の意図なのでしょう。
子供たちが自分の国語のチカラのなさをはじめて実感するのは就活の時になってしまうのかもしれません。
とにかく、今の学校の国語の授業では、国語のチカラはゼッタイにつかないことを、お父さん、お母さんは知っておいてほしいです。同時に、国語のチカラは家庭のチカラであることも(このことはそのうち書きます)