教科書ガイドとACの広告 つづき

一時期、ACの広告で「子宮頸がん」の啓発のCFが繰り返し流れた時期がありました。あの「エイシー」という結びの音楽と相まって、あまりのしつこさにクレームが出て、今のようにサッカー選手やタレントが出てくるバージョンが作られた経緯がありました。といっても、今も「ニッポンは強い国」とか「頑張ろうニッポン」といったショートメッセージを繰り返していることに違いはありません。いずれも、私はとても違和感を感じています。少なくとも、子供たちにはあのACの広告を見せたくありません。

言っていることに文句があるのではなく、ああしたショートメッセージを繰り返して聞かされることにとても違和感があるのです。ある意味では「一億火の玉」やら「大東亜共栄圏」といった言葉を鵜呑みにさせられることと違いはないのです。ある思想を「素のまま」で「無批判」に受け入れざる得ない状況は、決して良いはずはないのです。確かに「今」は非常時だとも言えるでしょう。でも、非常時であることを理由にするならば、戦時というのも非常時だったのです。

つまり批判精神のないことほどまずい状態はないと思うのです。主体的に情報に関われないこと、関わろうとしないこと、つまり、情報を無批判に鵜呑みにしてしまうこと、その危険性を真剣に考えるべきだと思います。「ニッポンは強い国」というショートメッセージがそれほど深い意味を持っているわけではないでしょう。でも、「強いってどんなこと?」「今、強い必要があるの?」「何で強くなくちゃダメなの?」なんて疑問を感じる精神こそが健全なのだと思うのです。

前回書きましたが、教科書ガイドを使った学習法というのは、情報を鵜呑みにしてしまう、目的をはき違えて結果だけを求める、といったものでした。そんな学習法は、決して健全ではない、と書いたつもりです。そうした点で、ACの広告によってすり込まれる情報を、無批判に受け入れてしまう事と似ているのではないでしょうか。いずれも、主体性が欠如している。あるいは、自ら情報に関わろうとしていない、といった類似点があると思うのです。

考えてもしかたがないじゃない。考えようにも○○シーベルトなんて単位は理解できないわ。そんな声も聞こえてきそうです。それって、関数って全然わからない、等速直線運動って意味不明。という生徒たちと何も変わりはないのです。考えることを放棄するのではなく、とにかく自分なりに情報を消化する努力をすべきだと強く思います。そのためにも、出来る範囲の中で情報に主体的に関わる努力が必要なのではないでしょうか。

今、大事なことは、教科書ガイドを使った学習ではなく、一人一人が、自らのチカラで問題に取り組む学習法なのだと考えます。そして、それは、小学生の高学年からの地道な積み上げの中でつちかわれていくものだと思うのです。miyajukuは、そうした学習法をしっかりと子供たちとともに育んでいきたいです。

ちょっと面倒な話でした。すいません<(_ _)>

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