原爆ドームと平和記念資料館
まず、原爆ドームです。やはり圧倒的な存在感です。写真で見るのと目の前で実物を見るのでは全く違います。ここにはあの日の朝、普通の人たちの生活があったのだと思うと、このモニュメントが語る言葉は見るものすべての心に響きます。昨年、震災後の閖上地区で見た津波でながされた路線バスと同じような調べを奏でているように感じられました。
原爆ドーム前のベンチに座ってしばらく過去と対話をした後、平和記念公園に向かいます。原爆の子の像です。青い空を背景に佐々木禎子さんの「もっと生きたかった」という思いが伝わってきます。もうダメです。本当に目頭が熱くなってきてしまいました。こどもたちが幸せに生きていくことの出来ること。それこそが大切なのだという原点を教えてくれる像です。
いよいよ平和記念資料館に。たくさんの展示物から2点だけ。ひとつは「伸一ちゃんの三輪車」です。詳しくは ここ にありますが、あの日、自宅の庭で三輪車で遊んでいるときに被爆をし、「水、水・・」とうめきながら死んでいった三歳の男の子のものです。
もうひとつは、佐々木禎子さんが死ぬ間際まで実際に折っていた折り鶴です。こんな展示があったんですね。これを見られただけでもここに来た意味があったと思いました。禎子さんの物語を知らない方はいらっしゃらないでしょうが、ここ(http://www.pcf.city.hiroshima.jp/frame/kids_j/sadako_j/index.html)に細かく掲載されています。また、このリンク崎には「放射線のことを知ろう」という特集もあります。子供にもわかりやすくまとめてあるのでぜひ読んでみてください。
写真は原爆が爆発した地点と、最初の火球の模型です。一瞬にして命を奪われた人たち。しかも、何が起こったのか、なぜ死ななければいけないのか、そうした人間の尊厳を奪われたまま死んでいった人たち。1945年8月6日の8時15分。この広島の地で起こったことを私たちは決して忘れてはいけません。国の内外が騒々しくなってきつつある今だからこそ、私たち日本人は「広島」という原点に立ち戻るべきなのではないでしょうか。
平和ということ。子供ということ。教育ということ。もう一度、私自身も考え直すきっかけになった半日でした。