絶対評価との向き合い方
昨日もこんな会話をある生徒とした。「オレさ、理科の試験はすべて90点以上で学年でも5判以内だったんだけど、通知表の評価は4だったんだ」「それって、授業態度や提出物の問題なんじゃない?」「確かに、こんな授業はつまんないやってしょっちゅういってるけど」「お前さ。それで4をつけてくれたのはその先生はよっぽどえらいんだよ。普通なら2や3をつけられるぞ」「そうなんだ」
これは極端な話だが、昨年もノートを提出しなかった、ということだけで評定1がつけられた生徒がいた。「絶対評価」というのは、根本的に「相対評価」と違う観点でつけられるものだ。そのことを本当に肝に銘じるべきだ。本当に繰り返してそのことを言っているのだが、どうも腑に落ちてくれていない生徒が多い。いや、御父母の方もわかっていただけていない。
相対的な評価は、テストの得点が全体の何番だった、だからこの評価がつくというもの。絶対的な評価は、それぞれの教科のそれぞれの単元で求められる達成度がどのくらい実現されたか、といったもの。根本的に違う。そうした観点の中には「意欲」のようなものも評価対象になっていて、それが「ノート提出」や「授業態度」といったものにつながっていく。
ここにいわゆる「ガキっぽい」男の子がいたといる。いろんなことに反発したくなる年ごろだ。先生が右を向け、というと左を向きたくなる。そんな生徒の評定は低くなりがちだ。絶対評価とはそうした矛盾も持っている。ということは、自分の評定を上げたければ「オトナ」になれば良いのだ。そんなことはわかりきっている。
ただ、これはこどもたちに強制は出来ない。彼らの「反抗心」は正常な発達段階の現れで、それを「そんなことだと内申点が悪くなるよ」といったことで摘んでしまって良いはずがない。塾の教師としては「絶対評価での成績アップの手段」というのはわかりきっていても、それを押しつけるのはワタシの主義に反する。
ただ、中3生は違う。15歳になるのだ。そろそろ「オトナ」の世界を自分の中に持っても良い年齢だ。つまり「自分の評価を上げたければ、自分自身が変わるしかない」ということをわかって欲しいのだ。右を向け、といわれて左を向きたくても、ぐっとがまんして笑顔で右を向く。そうなっても良いんじゃないか、ということだ。
これも何度も書いていることだが、絶対評価そのものをワタシは悪いとは言わない。それを高校入試の資料にすることが根本的に間違っているのだ。入試は相対的なもの。それと絶対評価はなじまない。しかし、それを言ってもはじまらない。それならしかたがない。こどもたちに「オトナになれ」と言うだけだ。
お父さん、お母さんも、頭ごなしに成績のことをいうのではなく、こどもたちを取り巻く状況を踏まえた上で、さらに今の子供さんの発達段階も考慮して、成績について諭してみてはどうだろうか。世の中には矛盾がある。その矛盾にどう向き合うか。絶対評価との向き合い方はそこまで根本的なものではないだろうか。