みんなで一緒に暮らしている

埼玉県内の盲学校に通う全盲の女子生徒が、JR川越駅構内で何者かに足を蹴られてけがをしたというニュースがあった。女子生徒のつえに引っかかって転倒した腹いせとみられるようだ。 → http://mainichi.jp/select/news/20140910k0000m040094000c.html

この事件に対して、2チャンネルやツイッターで、こんな「つぶやき」がされている。http://matome.naver.jp/odai/2141040600248450501 

いわく、投稿時間をずらさないのが悪い、被害者面してんじゃないよ、障害者は健常者を奴隷のように思っている・・・ 「つぶやき」なので誰なのかは特定できない。だから言いたいことを、本音を言える、ということだろうか。

と同時に、今時の若者たちと接する機会の多い私は、こうした「つぶやき」をすることはありうるだろうなぁ、と感じている。なんとなくの時代の雰囲気がここにある。さらに、若者たちが悪い、というよりも、大切な何かを伝えられていない今の教育にも大きな問題があるだろうとも思う。

こうした「つぶやき」に共通しいるのは、みんなが一緒に生きている、という観点だ。人は支え合って生きている、といった目線だ。寄りそい合って生きている、という考えが持てれば、こんな上から目線の「つぶやき」は出てこないと思う。

学習塾という場を通じてたくさんのこどもたちと毎日のように接している私としては、少しでもそんな思いを伝えていきたいと考えている。一緒に暮らしている、という目線をいつも持っていて欲しいと願っている。

辻仁成の「そこに僕はいた」という作品の中での、「あーちゃん」という義足の友達とのエピソード。この話しに描かれた世界をこどもたちにはわかってもらいたい。

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