生きた情報としての暗記
社会や理科の暗記がなかなかできない、と訴えてくる生徒がいる。暗記ができるかどうかは、実は、想像力のおっきさに拠るところが大きいと思っている。
私の妻がある時つくづくと言ったことがある。
わたしは子どもの頃、社会が地理も歴史も全然ダメだった。覚えられないの。でも、うちの子たちはなんなく覚えていった。だって、小さいときから、いろんなところにつれて行って、教科書に出てくる地名や人物が、みたことある景色や建物なんかと結びつくんだから。当然、すらすらと入っていくわよね。
確かにそうだろう。紙の上の文字だけでは、いくらそれを覚えようとしても、たとえ覚えたにしても、すぐに砂が水を吸うように消えてしまう。知識は実態を持ったものとして仕入れてこそ定着する、ということだ。
いや、受験まであと60日や90日というところでそう言われても・・・ という声が聞こえてきそうだが、何も今から体験学習に行きなさい、というつもりはない。覚えられないのは、暗記ができないのは、他の様々な要素と複合した知識として自分の中に埋め込もうとしないからだ、といえるのではないだろうか。
地理の言葉の暗記にしても、地図や写真といっしょに学習するのだ。文字情報だけでなく、他の情報と結びつけながら覚えていくようにするのだ。英単語でも同じこと。英単語と日本語を1対1で覚えるのではなく、その英単語がどういう状況の中で、どんなニュアンスとしてつかわれるのか、といったことを覚えていくようにすることだ。
それから、受験学年でない生徒たちは、できる限り「生きた情報」の質と量を増やすことを心がけていきたい。自分で見たり、聴いたり、感じたり、匂いをかいだり、といったことは忘れないものだ。知識を文字情報としてだけでなく、生きたものとして残すこと。それがすべての教科の学習につながっていく。