マスコミの姿勢
今日の読売新聞朝刊の記事の書き方には怒りを覚えた。東京都の未履修問題についての記事だ。
都立高校のくつかが理科総合の代わりに生物や物理の授業をおこなっていたことを認めていたことは拡大解釈ではないか、という内容のものだ。教科書を一度も開いていない、などと大見出しで書いていた。また、進学重点校の多くが「総合的な時間」の授業をセンター対策などの受験指導に当てているのはけしからん、という論調だ。
この未履修の問題については私もプログで何度もふれている。私が今回の読売新聞の姿勢に怒りを覚えるのは、問題の本質に全く迫ることなく、だだセンセーションに書き立てている事に対してだ。
そもそも「理科総合」には問題が多い。生物や物理や化学や地学のさわりの部分だけ高1で学習させることが良いのかどうか判断が分かれるし、実際に現場は混乱したままだ。さらに「総合的な時間」という数年前の指導要領の改訂で取り入れられた時間(自ら学び考える力を養う授業)についても多くの問題があることが確かだ。これら「ゆとり教育」という発想の中から生まれたカリキュラムの見直しが最近では叫ばれている。「ゆとり教育」→「学力重視」へという議論も高まっている中での今回の未履修問題だ。
マスコミのあり方としては、「東京都で未履修が新たに発覚!」とセンセーションにあおり立てるのでなく、なぜそうした事が起こったのか、これからの高校教育の方向性をどうすべきなのか、広く識者の意見や世論のあるところを記事にすべきなのではないか。
こんな新聞ならない方がよい、そのぐらいレベルの低い記事の書き方だ。猛省を求めたい。