子供の潜在能力
前の記事にも書いたが、子供の教育は100%親の方針によると思う。それでも、子育てほどおもしろいものはないと私は思っている。子供を育てることで、私も妻も成長しているはずだ。
夏の講習から「私立受験コース」に移った△△さん。今日、「後半の講習は出ないかも・・・」と言ってきた。よくわからずお母さんに電話する。「宿題もほとんど自分では出来ず、私がいっしょになってやっとできるんです。こんな状態では、後半の講習も大丈夫かと・・・」ということ。
△△さんは、私立受験コースに移るに際して、お父さんとお母さんが塾にいらっしゃって私と話し合いを持った。私も「熱意」を感じた。本人もとても素直に前向きに頑張れる子供だ。といっても、夏の講習に入った初日から苦労の連続。
当然だ。今の子供達の「学習能力」というのは、今のお父さん、お母さんが小学生の時と比べたら格段に劣る。これは子供の責任ではない。社会がそうしてしまっている。その「学習能力」を進歩させるために「中学受験」という手段がある。
私は長い間子供達の指導を職業としている。その中で「我慢すること」こそが、何にもまして「指導」の中心にあることを知っている。が、親は「早い段階での成果」をのぞんでしまう。そのことも私は良くわかる。私も自分の子供には「成果」を知らず知らずにもとめてしまっている。が、ここは「我慢」だと思う。
子供は毎日のように変わっていく。そして、刺激を与えれば与えるほど変化は大きい。劇的な変わり様も珍しくはない。そうした子供の潜在能力を信じることにこそ、子供を教える私たちの信念があるのではないだろうか。