部活動と体罰

大阪の高校で起こったカナシイ出来事がきっかけとなり、全国各地で部活動の中での体罰が表面化している。その中のひとつの愛知の高校では、陸上部の顧問が体罰を繰り返していて指導を停止させられていることに対して、保護者から「このままでは部活が弱くなってしまう。顧問の指導を復活させて」という意見が出ているとのこと。このあたりに教育現場における体罰の根の深さを感じざる得ない。

たかが部活動だ。こうしたいい方をすると怒る方もいらっしゃるだろうが、それでもあえていいたい。たたかれたことで発憤することはあるだろう。結果が出ることもあるだろう。でも、その先に何があるのだろう。強い部活動を求める先には、顧問の口利きによって大学進学を、といったこともあるのだろう。そうでなくても、成績を残すことで進学を有利にといった思いもあるのだろう。私はそうした進学を否定しているのではない。ただ、それは結果として「そうなった」というものであるべきだ。

高校時代に一所懸命に部活動に打ち込み、その結果として大学へ進学できたとすれば、それはその子の才能であり努力の結果だ。ただ、それを目的化してはいけない。あくまでもその競技が好きで、その競技に打ち込んでいたら結果がついてきた。結果を目的化してしまい、さらにはその先に進路をつなげてはいけない。そんなことをしていると、ふと立ち止まったときに「からっぽ」な自分がいるだけになってしまう。

大事な観点は、あくまでも主体性だ。これは勉強でも同じことだ。何をするにしても「自ら」が主人公であり、「自ら」が選択者であり、「自ら」が行動者であるべきだ。であれば「たたかれて発憤する」なんて他動的な動機づけはあり得ないことになる。指導者はそうした個の主体性をいかに上手にたばねるか、という手腕こそが問われるべきなのだ。

一昨日も書いた(先生が立ち去る職場)が、先生方を取り巻く環境は厳しいモノだと思う。モチベーションを高く持とうにも、それを阻害することばかりがふってくるような状況かと思う。部活動をがんばって指導されている先生の多くは、本当に子どもが大好きな良い先生のはずだ。こうした事件がマスコミで話題になればなるほど、そうした先生方に逆風が吹いていく。

ひとつだけ言えることは、学校に生徒をあずけるお父さん、お母さんの側で、もう一度「子どもと部活動」ということをしっかりと考える必要があるということだ。わが子と部活動ということにしっかりと意見を持ち、それを子供さんに伝えることが必要だ。

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