国語のチカラというのは「うたがう」ことにつきる

国語のチカラというのは「うたがう」ことにつきると思います。

「うたがう」ことが出来ない生徒は国語のチカラはないと言ってもいいでしょう。

左の本はmiyajukuの中学受験クラスの小6生の6月の課題図書です。

たとえば、この本の冒頭で、著者は自分の授業の中では「カワイイという言葉を禁止した」というお話が出てきます。「カワイイ」という言葉を疑うことから著者は話しをスタートするのです。

「カワイイからカワイイと言ってなにが悪いの?」という反応こそ、疑うことをしらない姿勢です。そうした生徒はいつまでたっても国語はできません。

著者は学生たちと一緒になって「カワイイ」という言葉について考えます。以下は著者の言葉の一部です。

美術にしても音楽にしても、こちらにぐらぐらと揺さぶりをかけてくるものに対して、私たちは「カワイイ」などとのんきなことを言っていられるものでしょうか。囲い込もうにも、こちらの囲いを破って出ていこうとするものを私たちは「カワイイ」とはまず言いません。出ていこうとしてできないものに対して「まあ、カワイイ」ということはあっても。あるいは、こちらに不都合が生じない範囲で依存してくるものも、私たちは「カワイイ」と思う。人は頼られることにある種の心地よさを感じてしまうものだからです。

何気なく使っている「カワイイ」という言葉にどれほど害があるのか。まさかそんな言葉に害があるわけないでしょ、という言葉だからこそ、読むものに「えっ」という思いが走るのです。そこにこそ国語のチカラが伸びていく「芽」があります。

「大人になるっておもしろい?」を中学受験クラスの小6生には、章ごとに要約をさせていきます。と同時に、授業の中で「うたがう」ことを具体的に学んでいきます。国語のチカラはこうして伸びていきます。

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