高校野球のこと
このブログではできるだけセンシティブな問題については書かないようにしているが、今回はちょっとだけそんな問題にふれてみたい。高校野球についてだ。まず、今回の決勝を戦った2校をはじめ、すべての高校球児をリスペクトしていることを言っておきたい。
さて・・・
今回の決勝は見るにたえなかった。何で決勝戦をあの日にやらなければいけないのか、ということだ。ひとりの才能豊かな男の子の未来をダメにしてしまうかもしれないことと引き換えに、マスコミがこぞって盛り上がっている様子は醜悪だった。あえて良かったことといえば、早めに打ち込まれて降板したことぐらいだ。
高校野球って誰のためにやっているのだろう。高校球児のため? いや絶対に違う。朝日新聞をはじめとした新聞、雑誌、テレビなどのためであり、高校野球というコンテンツで利益を上げているすべてのメディアのためだ。もっというと、そこにドラマを見て悦になっているわたしたちすべてのためだ。決して彼らのためではない。
高校球児たちは甲子園をめざす。しかも、それは「負けたら終わり」のドラマチックなものだ。ドラマに飢えている現代人は、その悲喜こもごもの高校球児たちの一挙手一投足にわくわくする。でも、それと引き換えに彼らが失っているものを考えてあげるべきではないか。それが「オトナ」っていうものではないだろうか。
甲子園を目指して何が悪い、と彼らは言うだろう。わるいことなどない。彼らは純粋だろうし、若い力はすばらしい。問題は、その将来のある彼らの芽をつぶしかねないことを平気でオトナたちがやっていることであり、その犠牲に目をつぶって盛り上がっていることだ。
高校野球に今の中高生が直面している部活動の問題のすべてが凝縮されていると思う。勝利至上主義、行動の一律化、個性の埋没、果てしない練習時間・・・ 何よりも部活動に時間だけでなく心がすべて奪われてしまい知らず知らずに自由をなくしていることだ。本人たちは自由でないことにすら気づいていないことが多い。
一所懸命に部活動に打ち込むことが悪い、といっているのでは決してない。問題は、そこにルールがないことだし、子どもたちの個性もなにもなく、勝つことが至上命題となっていることだ。高校野球が変わらないと部活動の問題は何も解決しないと思う。
まずはわたしたち「オトナ」が「おかしいよ」という感覚を持つことではないだろうか。